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                 山邊時雄先生の随想「基礎科学の創造性と役割」                  2015.3.5

  山邊先生は、本大学の学長、新技術創成研究所所長を歴任され、現在も幅広い見地からご指導いただいております。先生が、理事長をされているNPO法人「産業技術推進機構長崎」の機関誌「デジマ」(2014年秋号)への寄稿文を、許可を得て一部編集のうえ転載させて頂きました。    [記; 特命教授 村上 信明]

随 想 「基礎科学の創造性と役割」

山邊 時雄

生い立ちと福井謙一先生との出会い

 私は、1936年(昭和11年)9月、京都府北端の宮津湾と与謝の海をまたぐ日本三景の一つ「天橋立」の麓で生まれた。地元の小学校、中学校を経て、宮津市にある京都府立宮津高等学校に入学した。宮津高校へは小さなポンポン汽船で片道30分余りの通学であり、この往復の時間が私の主な勉強時間だった。3年生の夏休みから本格的な受験勉強を始めることにしたが、当時は家にはエアコンはおろか扇風機もなく、どこか涼しいところということで、母が、近くの山麓にある、我が家の菩提寺である西光寺という寺の住職に頼み込み、風がよく通る本堂を使わせてもらえることになった。その西光寺で、蝉の声を聞きながら、早朝から日が暮れるまで一心不乱に勉強し、お陰で昭和30年4月、京都大学工学部燃料化学科に合格した。

    生まれ故郷は天橋立の麓

  その頃は数学が最も得意な科目だったので、できればどこかの数学科に入りたいという淡い思いを持っていたが、当時、京都大学工学部の応用物理学科を卒業していた長兄から、これからは卒業後の就職が見込める工学部、中でも将来性が非常に高い電子工学か応用化学系がいいと勧められた。応用化学系の中でも特に燃料化学科には、新しい分野を築く新進気鋭のユニークな若手の先生方がいておもしろそうだとのこと、すぐに志望先をそこに決めたのだった。そこには、私が終生の恩師と仰ぐことになる福井謙一先生がおられた。私にとってはまさに運命的な出会いともいえるものであった。入学して1,2年の間はまだ教養部にいて福井先生と出会うこともほとんどなく、特別意識もしていなかったが、3年生からは講義・演習でお目にかかることになり、4年生になると福井先生の研究室に所属することとなり、実質的な研究指導が始まった。

思いがけず高分子化学の研究に

  私は福井先生のご専門の理論化学を勉強したいと思っていたが、どういうわけか、先生がもう一つ力を入れておられた実験系の高分子化学の方を勉強するようにとのことだった。テーマは「多官能基性単位間結合による高分子のゲル化の理論と実験」というもので、この後大学院工学研究科博士課程修了まで合計6年間この研究に携わり、これにより工学博士の学位をいただいた。この研究はいわゆる統計物理学における相転移問題のひとつであり、理論的には特殊な相互作用の型を持つ気体の凝縮理論と基を一にするもので、極めて基礎的なものであった。一方、実験的には極めて実用的な高分子の熱硬化性樹脂に関するものだった。この研究はまた気体の爆発現象や原子炉の核反応など、いわゆる”枝分かれ現象“にも関係しており、また一方では生体細胞の抗原抗体反応とも直接関係があることを知り、基礎科学の重要性と物理学、化学、生物学、医化学等への極めて広い分野への応用性を認識させられた。興味深いことに、この研究については、20年近く後になって、高分子物性理論の世界的大家であるW. H. Stockmayer博士から、あなた方にとってはもう興味がないかも知れないが、この理論を高吸水高分子の物性理論に使わせてもらいたいという主旨の手紙が福井先生と私の元に届いた。このほかにも高分子関係のいろいろな人々を知ることになった。

恩師福井謙一先生(右)と

 長崎に来て間もない頃、長崎県学長会の席で、向かいに座っておられる方の名札が気になってしかたがなかったのが、会議が終わって立ち上がったときにようやくお名前を思い出した。博士論文の研究過程でいろいろと教えていただいた、当時九州大学工学部におられ、その後長崎大学学長も歴任された横山哲夫先生だった。横山先生も同時に私を思い出されたらしく、何十年ぶりの再会を喜び、思い出話をさせていただいた。九州大学関係では、そのほかにも、前九大学長の梶山先生とも知り合い、また人工細胞膜に関する世界的研究者である国武先生や新海先生とも知遇を得た。

 話を戻すと、福井先生からはその後、6員環芳香族系を単位間結合とする三次元的に伸びたポリエンをつなぐことによって電気を流す高分子ができないかという宿題をいただき、作製を試みたがうまくいかなかった。これが、後ほど私が大きくかかわることになる導電性高分子研究の始まりといえるものであった。

米国留学と量子化学研究

 博士号取得の後は、研究室の助手として残ることになったが、学園紛争が始まり、研究どころではなくなり、福井先生から米国留学を勧められ、ジョンズホプキンズ大学化学科に1年余り留学し、H. J. Silverstone教授のもとで、水素原子の強電場下における束縛状態から連続状態への解の正確な接続と複素固有値問題に関する研究を行った。この成果は当時世界の数理物理学者の間で話題となったものである。この研究に関連して2007年1月、京都大学数理解析研究所でシンポジウムが開催されたが、それにはSilverstone教授も招待されていた。この問題は古くて新しい数理解析のテーマとして大変重要な意義があり、最近の宇宙創成に関わるビッグバンやブラックホールの吸収や放射と関係があるのかも知れないとのことであった。

 留学から帰国後は、いよいよ本格的に福井先生と量子化学の研究を始めることになった。福井先生はすでにフロンティア理論をもとに化学反応性の本質を追究しておられたが、私は少し異なった新しい分野を開拓しようと考え、当時まだはっきりしていなかった量子材料化学ともいえる分野に挑戦した。

導電性高分子―白川英樹先生、吉野勝美先生と意気投合

 1978年秋、私はニューヨークでの分子性導電材料に関する国際会議に出席していたが、その中に東京工業大学の白川英樹先生、ペンシルバニア大学のA. MacDiarmid, A. Heeger博士らの共同研究の発表があり、その内容は白川先生が合成された絶縁体に近いポリアセチレンフィルムがドーピングによって金属的電導度を示すという驚くべきものであった。すぐさま、このポリアセチレンは私が始めた量子材料化学の格好の対象であることに気づいた。

  この後直ちに私と白川先生、そしてその場に居合わせておられた大阪大学工学部電気工学科の吉野勝美先生とも意気投合し、若い日本人研究者3人でこの新しい未知の分野を開拓していこうということになった。これまでこの3人はお互いを全く知らず、これもまた運命的な出会いともいえるものであった。しばらくしてこの分野は「導電性高分子」と名付けられ、英語名を「Conducting Polymers」として世界中に拡がり、2000年にはこの研究で発見者3名に対してノーベル化学賞が授与された。

(左)2000年12月白川英樹博士ノーベル化学賞受賞記念祝賀会にて

(右)座談会「合成金属にかける夢」化学41巻5号(1986)より

ポリアセンを二次電池の素材として―リチウムイオン電池研究開発の黎明期―

  この発見の直後からA. MadDiarmidらはその応用として、ポリアセチレンを正負両極とし、Li塩を活物質とするキャパシター的電池の構想を出し、その作製を試みたが、電極としてのポリアセチレン自身の本質的な不安定性から成功せず、これに代わる新しい炭素材料の探索、設計が世界中で始まった。

  これに対して、我々の量子化学的材料設計に基づいて提唱されたポリアセン系高分子型炭素材料が一次元グラファイトの名の下に注目を集め、その作製がいろいろなところで試みられた。これに応えて1981年頃、共同研究相手の鐘紡(故矢田博士)が、安定な難黒鉛化炭素の一種であるポリアセン系有機半導体(PAS)を作製し、これを用いて二種類の高分子バッテリーが開発された。ひとつは正極にPAS、負極にLi金属を用いたもので4Vの電圧が生じ、もう一つは両極ともPASを用いたもので、この蓄電デバイスは、正極はキャパシターと同様に、負極は矢田らによって開発されたプリドーピングの技術を適用することによって、Liイオン電池と同様に作動する。これがいわゆるコイン型高性能Liイオンキャパシターとして、世界の50%以上のバックアップ電源として広く世の中に出ることになった。さらに、1985年、旭化成の吉野彰らはこれをさらに改良し、正極をCoO2とすることによって今日のリチウムイオン電池が生まれたのである。私は、これらリチウムイオンキャパシター、リチウムイオン電池の基礎研究に対して、1997年に日本化学会から日本化学会賞をいただいた。この時、後の2010年にノーベル化学賞を受賞された根岸博士も同時に受賞されていたのだった。

 ポリアセン系半導体材料(PAS)の作成例

(左)携帯電池に使用されるバックアップ電池

                                        (右) 円筒型のPAS電池

福井先生のノーベル賞受賞

 1981年10月1日、私はすでに名称が燃料化学科から石油化学科に変更されていた同じ教室の教授となった。福井先生は翌年(1982年)3月末で定年後退官の予定であり、それまでに福井先生の世界的な研究をできるだけ引き継いでおくようにとのことであった。それは一言でいうと「量子力学によるフロンティア軌道理論を用いた化学反応の理論的解明」とでもいうものであって、具体的には化学反応の反応経路を説明したり、生成物を予測することに役立つものである。この研究は海外では大変高い評価を受け、数年来ノーベル化学賞候補にノミネートされているという噂であったが、この年に限って何の動きもなく、まるで噂は消えてしまったかのようであった。国内でも同様で、むしろ井上靖氏の文学賞候補の話で紙上が賑わっていた。ところが私の教授就任の日から二週間余りした10月19日夜、福井先生とコーネル大学のホフマン教授にこの年のノーベル化学賞が授与されるというニュース速報が流れ、福井先生は当然のこと、後任教授ということで私までその騒ぎに巻き込まれることになった。12月10日のストックホルムでの授賞式には、福井先生ご夫妻に私も随行させていただく栄誉に浴した。

  この授賞式はまずスウェーデン王立科学アカデミー会長のスウェーデン語の挨拶で始まり、それに続いて国王による各受賞者への賞状とメダルの授与が行われる。この会長の挨拶は小さな英語版の冊子として出席者に配られたが、その最後の部分は「・・・地球の存続と人類の健康と平和のために、先進国は基礎科学の研究にもっと資金をつぎ込むことを期待する。また、今後はヨーロッパと日本の受賞者の数が、それまでのアメリカの圧倒的な受賞者数の優位性を抑制するであろう・・・」といった内容であった。実際、その後日本人受賞者が続出していることを思うと、何か暗示的な言葉であったと思う。

  授賞式の夜は恒例の大晩餐会が催されるが、そこでの話題は各部門を代表した受賞者の3分間のスピーチであり、話題は何でもよく、また何語で話しても良いことになっているらしいが、たいていは英語でなされる。この年の化学部門の代表スピーカーは福井先生であった。その内容は、当時先進国で大きな話題となっていた地球環境問題に関するもので、大半は英語で話されたが、最後の部分だけは突然日本語で、「科学の研究の応用における善、そして−もしあるとすれば悪−の区別を最もよく見分けるのが科学の先端的な領域に働く研究者として優れた人たちです」と話されたものだから、数少ない日本人以外にはわからなくなり、一瞬会場はしーんとなってしまった。先生のスピーチは大喝采で終わったものの、その後私はいろいろな人からこの部分の英訳をせがまれた。彼らは言葉はわからなくても、非常に先見性のある重要な内容のものであったに違いないと直感していたようである。

ノーベル賞のめざすもの

  それから数年したある日、NHKから「ノーベル賞のめざすもの」という番組で、特に物理と化学を対象に”基礎科学の創造性と役割”というテーマで、スウェーデン王立科学アカデミーの重要メンバー2名と一緒にテレビ座談会をしてもらえないかという依頼があった。突然のことで驚き、福井先生とも相談したが、スウェーデン側も私ならばよいとのことで、受けることにした。スウェーデン側の一人はノーベル化学賞審査委員で審査委員会総務幹事のアルネ・マグネリ博士で、結晶学の専門家であった。もう一人はノーベル物理学賞審査委員長のスティグ・ルンドクイスト博士で、電子物性物理学の理論家であった。二人とも私のことは知人や研究を通じて知っているとのことであった。座談会は同時通訳を通じて45分間行われた。私としては初めてのことで緊張したが、相手のよく慣れたリードのもとでそれなりに対応していたように思う。 内容は、アルフレッド・ノーベルの遺志に基づいて、地球の遺産の保全と人類の存続に寄与する独創的な基礎科学がどのように創造され、それをいかに顕彰するかという立場に立った、具体的過程についてのものであった。特にその独創性の起源については、内容と人物のみならずその時期についても最も注意を払うものであり、時期についてはしばしば30年以上、時には50年も遡ることもあるとのことであった。実際このための調査の費用は時にノーベル賞の賞金に近い額となり、このことがノーベル賞と他の賞との最も大きな違いであり、ひいてはノーベル賞が最高の権威を持つ所以であろうとのことであった。

  アルネ・マグネリ博士(中)、ステイグ・ルンドクイスト博士(右)と。1985年11月2日、NHKETV8「ノーベル賞のめざすもの(第2回)〜基礎科学の創造性と役割〜

  ここまで述べてきたこと以外に、私は福井先生の学問・研究を引き継いだ者として、化学反応に関する量子化学的研究にも実験的研究にもそれ以上の努力を注ぎ込んでいった。それらを振り返ってみると、私は化学から分子物理学、物理数学、あるいは創薬やタンパク質等の生化学に至る広い学問分野に携わり、自分の一つの専門分野に凝り固まることなく、一見無縁に見えるような分野も研究したことになる。それによって、これらの学問や研究が今後どのように発展し、世の中にどのように関わっていくかを見通す目、すなわち先見性を培うことができたように思う。私がこれまでやってきたことは、基礎科学に関することであったが、科学の応用を考える際にも当然必要なことであり、自分のこれまでの研究が将来の科学技術、産業技術の発展につながっていくならば大変幸せなことに思う。

山邊 時雄   YAMABE_Tokio@NiAS.ac.jp

1959年 京都大学工学部燃料化学科卒業、1981年 京都大学工学部教授、2000年(財)基礎化学研究所研究担当理事、2001年 長崎総合科学大学学長、2005年長崎総合科学大学新技術創成研究所所長などを歴任、現在、京都大学名誉教授、長崎総合科学大学新技術創成研究所特命教授

電子材料開発における量子化学的手法の有用性の確立と、その手法を応用した、ポリアセン系材料(難黒鉛化炭素材料)のリチウムイオン二次電池の開発に関する基礎的研究を世界に先駆けて行った業績に対して、1996年度日本化学会賞を受賞

Lithium Ion Rechargeable Batteries,Tracing the Origins of Research and Development

(「リチウムイオン電池」開発の源流について、月刊「化学」(2015.12)のインタビュー記事の英訳です)

山邊時雄 ー 長崎総合科学大学[NiAS]研究者紹介

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