第10講 環境ホルモンとダイオキシン

 1980年代から1990年代に大きな関心を集めたダイオキシン問題は、ごみ焼却炉などの発生源対策が進んで、2008年当時はすでに収拾しつつありました。現在では、日常生活でのそのリスクは十分低く抑えられていると評価されています。ダイオキシン以外の環境ホルモンについても、現在はあまり表に出ることはありませんが、相応の課題は当然残っており、各方面で地道な研究がなされているという状況です。「燃焼」は、人類がエネルギーを利用するための基本的操作の一つで、ダイオキシン生成の主要な原因でもあり、後半では「燃焼」についての一般的事項を概説しました。 (2020年6月)

(「昨日今日いつかくる明日―読み切り「エネルギー・環境」―」(2008年刊)より抜粋)

無数の化学物質と環境ホルモン  

 環境ホルモンは正式には外因性内分泌撹乱物質とよばれ、環境中に放出されたのち何らかの経緯で体内にはいり、ホルモンと同様の働きをする化学物質である。ホルモンは甲状腺、副腎などの内分泌腺でつくられ、血液によって特定のホルモン標的細胞に送られる。そこで受容されたホルモンは細胞内に取り込まれて、ごく微量で成長、性周期・出産、或いは、体温・血糖値など重要な生理的調節作用を示す。ホルモンの血液中の濃度は1cc中に10億〜1兆分の1グラム程度と超微量であるが、生体器官同士の情報伝達という重要な役割を担っている。環境ホルモンはこの生体中ホルモンと同様の作用で生体内の情報ネットワークを撹乱し生殖機能などを低下させる。

 環境ホルモンが注目されるようになったのは、米国のコルボーンらが1996年に発刊した「奪われし未来」による所が大きい。例えば、南カリフォルニアのアメリカオオセグロカモメのメス同士のつがい現象、鳥・わに・アザラシなどの野生動物の個体数の減少、雄性化・雌性化、卵の孵化率の低下、甲状腺の腫瘍など、生殖異常をはじめとする様々な事実が具体的に紹介され、多くの人々に深刻な衝撃を与えた。種の保存の根幹に関わる問題として食物連鎖の頂点にある人間にも類似の影響が懸念され、現在、女性の子宮内膜症、男性の精子数の減少などとの関係も検討対象とされている。

 例えば、ある種の化学物質(農薬や重金属)は、水中などではごく薄い濃度であっても、そこに棲むプランクトンや藻類に取り込まれると、脂肪などの中に蓄積・濃縮される。これらの物質は、やがて、一次、二次捕食者、さらに大型の捕食者中の特定部位に濃縮され、その結果、たとえ少量が希薄な濃度で環境に放出されたものであっても、最終的に人や動物に重大な影響を与える可能性がある。これらが環境ホルモンとして作用することが危惧されているのである。殺虫剤として世界的に広く利用されてきた「奇跡の薬品」DDTはこの生物濃縮の代表的な例として、もしそれがなければ300万人の命が失われたであろうとされるマラリア駆除に対する貢献とともに、野鳥を始めとする自然界への害が議論されてきた。

 現在まで人類によって開発された化学製品は薬品、材料素材など10万種に及ぶとされている。これらのうち、どのようなものが環境ホルモンの作用を示すかは、影響が多様でメカニズムが充分解明されていない現状では殆ど判っていない。我国では、1998年環境庁が指定した、ダイオキシンをはじめ、PCB(ポリ塩化ビフェニル)、有機スズ、除草剤などの農薬、経口避妊薬などの医薬品など67種の化学物質を対象に、環境ホルモンとしての作用について諸検討がなされ、2004年にその結果がまとめられた。そこでは、成人男子の精子減少や男子出生減などの影響は確認できなかったが、メダカに対しては24物質中3物質に環境ホルモン作用が確認された、また船底塗料として長らく使用されてきた有機スズ化合物によるイボニシ(巻貝の一種)の生殖器異常が我国沿岸部で広く認められた、とされている。いずれにせよ、基本的な科学的知見が不足している面もあり、今後も調査研究が継続される。

分析技術の重要性

 環境ホルモンの生成状況とその影響を議論するには、前提として、その化学物質の種類と濃度が精確に、或いはある程度の精度で計測・分析できなければならない。環境ホルモンに限らず、計測・分析技術とその結果はすべての科学的考究、技術開発、工業プロセス設計の基礎である。前述の「ガイア」理論で名高いJ・ラブロックは、微量塩素化合物の分析のために、ECD(電子捕獲型検出器)を開発し、これによってDDTやPCB、或いはフロンが地球規模で拡散していることを定量的に示し、R・カーソンの「沈黙の春」に始まる環境保護運動の契機になったことはよく知られている。

 今、目を閉じれば多くの人が想起できるであろう、季節変動のジグザグを繰り返しながら、年々上昇していくハワイ・マウナロアの大気中二酸化炭素(CO2)濃度のカーブ、或いは、フロンの関与を認めさせる契機になったオゾン層でのオゾン濃度とClO濃度の相反する分布、更には、横ばいの続く日本の二酸化窒素(NO2)の環境濃度の年次変化、これらの印象的なグラフには必ず対応できる分析技術の裏づけがあったわけである。

 ただ、NOxやCO2は対象となる濃度がppm、%であるに対し、今、環境ホルモンで問題になるのは、ppbを越えてppt、ppqの世界であり、よく比喩されるように、プールに落ちた一滴のインクのレベルである。ダイオキシンの検出感度を例にとれば、1950年代には0.1%(即ち1000ppm)レベルであったが、60年代にppm、70年代にppb、80年代にはpptレベルと10年毎に1000分の1のペースで向上してきた。良くこのような極超微量までと、率直に感慨を禁じえないNOx世代の技術者も多いだろう。しかもダイオキシンは、NOのような単一物質ではないどころか223種もある化合物の総称である。排ガス中の濃度計測では、排ガス採取から、ダイオキシンの抽出・濃縮、質量分析装置での計測と、煩雑で熟練を要する作業の連続である。結果を受け取るまでには少なくとも一週間近くを要するし、その報告書もフローシートから各々の成分のクロマトグラムまでかなりのページになる。

 実際、分析といっても、一般の人がイメージするのは、高級な分析装置にサンプルを打ち込んで以降のことであろうが、それは機械がやってくれることである。一般に環境成分の分析には、現場でのサンプリングや、分析装置に入れるまでの前処理の方が煩雑で、時間と熟練を要する場合が多い。とくに微量の分析では装置の汚れや、採取装置での吸着、またサンプルガスが高温であれば、採取管中での反応など、留意を要する項目は多岐にわたり、最後に数値が出るまでには、積み上げられた多量のノウハウと担当者の不断の訓練が必要なのである。

 しかしながら、先端的な分析装置の開発は別にして、一般の環境関連の分析担当者は必要不可欠でありながら、きちんとした値を出して当たり前、想定と違う値であればまずは疑われるという、プロセス設計や製作担当部門と比較して地道で報われない役回りのことが多い。実際のプラントの現場では、一般にサンプル採取はいつでも可能とはいえないから、再採取・分析ができず、ミスが取り返しのつかない場合もある。しかしながら、このような分析技術がなければ、殆どの環境問題は明確な形で現れることもなく、また対策技術の進展もない。例えば、NOxに関連していえば、亜酸化窒素(N2O)分析の初期のトラブルについては前述したが、NO,NO2についても当初は相当する低濃度の連続分析計はなく、分析計の開発と、低NOx燃焼技術・脱硝プロセス開発が並行した時代があったのである。

 さてこのような超微量の分析になってくると、いろいろな問題が出てくることは仕方のない所で、ダイオキシンの分析結果をめぐる騒動が一時期各地で報道された。ナイーブな話では、例えば焚き火でダイオキシンはでるか、即ち、ゼロか発生するのか、という質問がある。このプラントは絶対に安全か、と同様の質問である。「安全」については、「人間の行動には必ずリスクが伴う、安全とは許容し得ないリスクが存在しない事」とされるが、これに類似している。どちらもプロに近ければ近い程そのような話にはならない。今、pptレベルで検出できなかったが、分析技術の進歩でこれがppqまで分析できるようになったら、実はダイオキシンができていた、ということになるからである。つまりは一般人には、安全の場合のリスク評価に対応する、分析の定量的評価、即ち「検出限界」の概念がないからこのような質問になってしまう。尤も、全員参加型の議論になり勝ちなダイオキシンなどに限らず、技術屋でも違う分野の人からは、簡単に、NOxはゼロに出来ないのか、この成分は処理しては絶対に出さないようにしてくれ、といった要求があったりする。同じ技術屋であれば説明すればすぐに判るのだが、化学分析といった特殊分野について、一般大多数の理解には越え難い障壁がある。

 ちなみに、冒頭の(省略)有機物データハンドブックを編んだバイルシュタインは、また、塩素などハロゲン元素の簡易検出法の考案でも著名である。銅線につけた被検体を簡易バーナーで熱し、緑色の炎色で確認するもので、「バイルシュタイン法」とよばれる。塩化ビニルや塩化ビニリデンなどと、塩素を含まないポリエチレンなどのプラスチックの差は明瞭に視認できるから、現在では、高校などでダイオキシンの発生機構、ごみ分別の必要性などの理解を目的にした実験の素材となっている。 

 いずれにせよ、分析技術が環境の分野で果たす役割はどのように高く見積もっても過ぎるということはないのである。

ダイオキシンの毒性と発生源

 環境ホルモンの中でも最も毒性が強いダイオキシンは、いろいろと話題になる。塩素と酸素、水素、炭素を構成元素とする多数の化合物の総称であり、議論はあるが、青酸カリの1000倍、サリンの2倍の毒性を有する。「ダイオキシン」とは酸素が二つという意味で、二個の酸素を介してつながった二個のベンゼン環の水素原子に代わって塩素元素が結合した形をしている。致死毒性、肝臓障害などの急性毒性のほか、慢性毒性として低濃度でも、催奇形性、生殖毒性、免疫・造血機能障害、発ガン性など深刻な作用を及ぼし、更に、水に溶解しにくく脂肪には溶け易いため生物濃縮が起こり、食物連鎖、母子連鎖にも充分な留意を要する。誠に恐ろしげな物質で、教材用のビデオは別にして固体の純試薬を実際に目にした人は殆どいない筈だが、常温では白色の固体、300℃で液体になり、800℃で分解する。

 ダイオキシン類には、表10.1に示すように狭義のダイオキシンのほか、コプラナーPCB,ジベンゾフランを含め、全体で223種ある。これらは分子構造が平面状なので、生体に対して高毒性を示すと考えられている。1968年、北九州を中心に発生したカネミ油症事件には化学的に安定で、耐熱性、絶縁性や非水溶性、不揮発性などの優れた特性のため「夢の油」として多用されたPCBが関係している。カネミ油症は、米糠を原料とする料理用油の製造過程で、熱媒として使用していたこのPCBが混入したことが原因とされていたが、その後、皮膚や爪の黒変、ニキビ様の皮膚炎などの症状が、実はPCB自体ではなく、PCBが熱変質してできたダイオキシンの一種であるポリ塩化ベンゾフランが原因だったことが明らかになった。戦後最大の食品公害事件であり、また最大のダイオキシン公害といえる。1972年、生産が全面的に中止となり、負の遺産として各地で保管されていたPCBは、今、厳重な管理のもとに超臨界水を用いた分解など各種の手法で処理されており、いずれ絶滅化学種のリストに入るだろう。

 近年では東欧の大統領の塩素挫創が話題になった。この場合の経緯は明らかではないが、ダイオキシン類は工業製品として意識的につくられるものではない。日本での現在の主な発生源はゴミ焼却炉とされ、塩素を含む物質の不完全燃焼に起因して発生するものである。即ち、燃焼時に燃え残った有機物と塩素が、1000℃以下の低温度の気相中で結合するのが第一の成因、温度が下がって300℃付近で銅などの触媒反応により結合して生成するのが第二の成因である。従って高温度で燃料を完全燃焼させて、炭素分を完全にCO2に酸化してしまえばダイオキシンは生成されないし、また従来あいにく300℃に近かった集塵温度は200度以下とすることが望ましい。1997年の環境省令では800℃で2秒以上の滞留時間をとること、そのあと200℃に急冷することがダイオキシン生成抑制の要点としている。そのような操作が困難な小型の焼却炉は廃棄され、大型の焼却炉メーカーはダイオキシン低減対策にしのぎを削ることとなった。

 表10.2に日本でのダイオキシンの環境基準と排水、排ガスの基準値を示す。二酸化窒素(NO2)の環境基準値下限は0.04ppmであるから、重量に換算するとダイオキシンは1/105の厳しさである。

 また、日本のダイオキシンの発生量は1998年当時、年間約5キログラムで主要15ヶ国中最大であった。現在では300グラム程度に減少したが、例えばドイツは焼却炉が少なく、その100分の1の年間4グラムに過ぎないということである。それにしても、騒ぎの大きさからして、桁の間違いではと思われるやも知れない。しかし今問題とされているのはこの量についてであり、日本のCO2の排出量は炭素換算で年間約3億トンであるから、実に1019倍の開きである。現在の環境問題はこのスケール幅をカバーしているともいえる。

表10.1 ダイオキシン類の化学構造

名称

化学構造式

ポリ塩化ジベンゾパラジオキシン
(PCDD)

ポリ塩化ジベンゾフラン
(PCDF)

コプラナーポリ塩化ビフェニル
(PCB)

ダイオキシンは223種類の塩素を含む芳香族炭化水素化合物の総称であり、3つのグループに大別される。

表10.2 ダイオキシンの環境基準と排出基準
            (日本,1999年)

環境基準

水質
土壌
大気

1pgTEQ/L
1000pgTEQ/g
0.6pgTEQ/Nm3

排出基準

工場排水
燃焼炉(4t/h以上)

1pgTEQ/L
0.1ngTEQ/Nm3

TEQ: 毒性等価換算量 ダイオキシンの環境基準、排出基準は、最も毒性の強い2-3-7-8PCDD量に換算した毒性等価換算量で示される。

焚き火とダイオキシン  

 日本では2002年、ダイオキシン対策を一つの目的として、野焼きが禁止されたことにより、一時期、焚き火の是非の議論がダイオキシンとの関連で起こった。焚き火が健康にどう影響するか、系統的な調査や研究の結果はある筈もなく、毎日焚き火や、焼芋つくりに精を出す人は多くはないので、それ程気にすることはない、というのが一般的な見解であったろう。確かに、木や葉のなかには塩素が含まれており、燃やせばダイオキシンが生成する可能性はある。しかし超微量であろうし、もともと人類は火を使うことによって一般の動物と袂を分かったたわけであり、原始時代から焚き火は行われてきたのである。ただ勿論、その機に乗じて塩化ビニルなどの塩素を含んだプラスチック、或いは電線のようなダイオキシン生成の触媒金属を含んでいるものは少量でも燃やさないことが肝要ではあろう。焚き火は原始時代からでも、プラスチック、この今や町中に氾濫し、日本では多数の百円均一ショッパーズを可能にしている人類の輝かしい発明品は、高々50年前から普及したものであることは考慮しなければならない。

 燃やすのは人間だけが可能な所業であり、他の動物は現在のところ、不本意ではあろうが食卓に上がるため人間に焼かれることはあっても、自発的に火を用いることはなく、また近い将来そのように進化する徴候もない。しかしこのように、肉食獣の恐怖から身を守るために洞窟内で行われた、石の摩擦熱で高温を発生させ、樹木や木の葉で火をつくるという人類の記念碑的な行為、ノウハウとしても卓越した技術内容を含む太古の昔から経験ある行為でさえ、その可否が問われる状況に至ったわけである。何を大仰なと簡単にいい切れぬのは、ダイオキシンの急性や持続性の有毒性ではなく、まさしく環境ホルモンとしての影響を評価できないからである。極端な話、古来焚き火・たばこの煙、或いは焼き魚からダイオキシンを摂取し、折角ある種のダイオキシンに耐性をつくってきたのに、急にやめた場合、何十世代か後には別の形で悪影響を及ぼすやも知れない、とさえ言える。誰も答えは持たないし、そもそも当時このような議論をしたこと自体、今となっては空疎な感をもってしまうというのが正直な所だろう。

 ちなみに日本人の場合、ダイオキシンの人体への取り込み量の80〜90%は食品経由で、そのうち、60%は魚からであり、残り10〜15%が大気からである。また耐容一日摂取量は体重1kg当り4pg(1pgは1兆分の1g)であり、それに対し実際の摂取量は0.3〜3.7pg、つまり、ダイオキシン・環境ホルモン物質は極超微量とはいえ、毎日食卓にのせられている。尤も、現状の汚染度ではバランスのとれた食事の利益が、予想されるダイオキシンのリスクを上回っている。即ち、日頃から肥満や高血圧予防を考えた食事を心がけていれば心配には及ばないということである。

燃やすということ

 燃焼とエネルギー・地球環境との深い関係については、諸所で言及してきた。そして本講のダイオキシンもまた、大半は塩素化合物を含んだ燃料、廃棄物を燃焼させることで発生する。ここで少し「燃焼」について補足しよう。

 今、我々の文明の基盤となっているエネルギーの過半は燃焼によって得られている。即ち、日本でも、また世界でも一次エネルギー供給のうちに化石燃料の占める割合は約80%であり、かつそれらの大半は燃やされている。石油化学製品や製鉄用のコークスなど、「もの」として利用される量はわずかであり、又これらの多くも結局は燃やされる運命にある。電気をつくるにせよ自動車を動かすにせよ、一般には見えない所で、化石燃料を燃やすことによって我々の文明が支えられているのである。

 しかし、この燃焼という大きな価値を生む行為にも、一方では些細とはいえない、いや今では重大といわねばならない瑕疵が伴う。燃焼生成物であるCO2による地球温暖化であり、硫黄酸化物、窒素酸化物、未燃炭化水素、煤塵による大気公害、そして大域的な地球環境問題としての酸性雨である。負の面だけをみれば、化石燃料を燃やすことによって、人類は、悪行すさまじき地球環境の破壊者となったのであるが、無論これは意図せずとも我々のためにエネルギーを溜込んでくれていた化石燃料の責任ではない

 1950年代までは、子供達で焚き火をしたり、七輪の火を起こさせられたりした。七輪は、今ではカセットガスコンロにその役割を譲った小型の調理用燃焼炉で、円柱型の珪藻土の耐火材を中繰りしたものである。火を起こすには、最初に新聞紙と薪で火を付け、それに無煙炭や木炭の粉末を粘着材で固めた家庭用燃料である練炭や豆炭を入れるが、やはり何度かやらないと、練炭を入れたとたんに消えたり、煙で涙をだしたりする。また昔は密集した木造の家屋が多かったせいか、火事を実際に間近で見る機会も多く、それも勢い良く高温でNOxができるようなものが多かったように思うが、最近は建築素材も変わり、不完全燃焼部分が殆どで、COや煤塵の多い、くすぶるような火災となるようである。実際、現在では一般人が身近に炎に接するのは、瞬時に着火するガスコンロの炎と、ろうそく、煙草にライター位になってしまった。時にバーベキューなどで疑似体験はするものの、焚き火や日常的な七輪の火起こしと無縁となった子供たちは、この最も一般的なエネルギー転換技術であり、普遍的な科学現象でもある「燃焼」に関心を抱く機会が減少しているということになる。

 ちなみに、水素では火炎は見えないが、天然ガス、石炭、石油系燃料など炭素を含む燃料では、火炎は一般に発光を伴って見ることができる。これには、電子的に励起された中間生成物(ラジカル)に起因する化学発光と、すす又はその前駆体が赤熱されているものがある。淡青色ないし緑色に見えるのは前者であり、赤く輝いて見えるのは後者である。その気になって見れば、ガスコンロの淡青色は、美しく神秘的ですらあるし、ろうそくの火炎構造も魅力的な観察対象である。宝石すらも火炎の光彩や美と競えるものではない、とは前述した「ろうそくの科学」の講演者であり実験者でもあるマイケルファラデイーの率直な感慨であろう。

ガスコンロの火炎

ろうそくの火炎

 


判っていることの深遠さと判らないことの素朴単純さ

 1778年、ラボアジェは「燃焼は空気中の酸素と燃焼性の物質との化合であり、熱と光の発生を伴う現象」とする見解を示し、天秤を重用した定量的な実験をもとに、一般の反応についても適用できる質量保存則に基づく新しい化学理論を打ち出した。パスツールの生物無発生説と並ぶ、近代科学の出発点である。燃焼の本質は化学反応であるが、これについて現在の我々は全てを理解しているわけではない。というより、完全な理解には程遠いといった方がいい。

 燃焼は燃料種類や、燃焼条件によって、多様な様相を示す複雑なものであり、化学反応だけでなく反応物である燃料・空気の流動・拡散とが複合した現象で、一般に極めて高温度で行われることもあって、充分に解明されていない部分も多い。化学反応だけに限っても、今後の研究に待つ部分は多い。例えば、通常(1)式のように示される、最も簡単な水素の燃焼反応でも、正確には直接水素分子と酸素分子が衝突して水ができるわけではなく、途中段階では、OHやHO2、Hなどの不安定中間物質が生成し、これらの間で、それぞれ速度が異なる50もの素反応群からなる連鎖反応が進行・関与し、最終的に主生成物H2Oと、極微少量のH2やO2、OH,Hなどの平衡生成化学種に辿り着くのである。

    H2+1/2O2 → H2O  (1)

 熱収支などの検討には一般に(1)式のような総括反応で充分であるが、特にNOxなど微量成分、また未燃分であるCOの生成量予測等には上記のような素反応群を考慮した解析が必要となる。この素反応速度群について、良く判っているのは水素に関するものだけであり、最も簡単な炭化水素であるメタン(CH4)でさえ、速度が充分な精度を持たない素反応もある。

 今、もし人類が全ての科学的知識を失っても「原子」の概念さえ与えればもとの状態にかなり早く復元しえる、といわれるが、戻ってもこの程度ともいえる。その意味では日常接するろうそくやガスコンロの炎も、まだ神秘のままである。

 以上は、水素、メタンなどのような気体の燃焼であるが、石油などの液体燃料の場合は、化学反応だけでも複雑である。COをはじめ、煤塵、未燃炭化水素など、燃焼の不十分さによって生成する公害成分の排出抑制のためには、高温域で燃料と空気との充分な混合がなされることが必要である。一方、NOxは高温でかつその保持時間が長いほど生成されやすい。現在の低公害燃焼技術はこのジレンマを克服することを主たるテーマにしている。

 こういう部分になると、もはや基礎理論ではなく、大半は工学の領域であり、ほぼ半永久的に研究テーマとなり得る。確かに量子力学・量子化学を初めこの分野にも飛躍的な進歩があった。しかし、これらをベースにしてある程度厳密に燃焼反応を記述できるのは今の所水素だけであり、この太古から受け継がれてきた「燃焼」という技術でさえ、人類はその根幹をまだ完全に記述する事はできないのである。判っていることの学術的な深遠さに較べると、現実的で単純素朴な現象が判っていない、説明できない、というのはどこの世界でもあることではある。

環境ホルモンの今後

 さて本題に戻って、前述のように環境ホルモンはイボニシなどの内分泌系のみならず、一時期、世情・人心をもおおいに覚醒或いは撹乱させたのであるが、今や、「環境ホルモン」はメデイアからは忘れられた存在になったようである。ということは一般の人々にとっては死語同様になってしまったことを意味する。メデイアの喧騒の最中に、本格的な調査・研究が開始されたものの、ある確定度をもった結果が出るまでには、相当期間を要する、その間に世間の関心は低下してしまい、そして発表された結果の刺激性が低い場合は、一部の粘り強いグループを除けば、一般的にはそれで一段落、というのが、この間の荒っぽい経緯である。過去の高温超伝導や、常温核融合などの場合と似ていなくもない。

 しかし、化学物質の種類、濃度、それらの複合効果、また長期の世代を越えた障害など、化学物質の側、被害対象の生物側、それぞれに膨大な影響因子があり、少なくとも、現時点では全く判っていないと合点するのが相当であり、ことのほか早期に鷹揚になってしまったかのような世間一般とは別に、今後も地道な研究が継続されていくだろう。つまりはまっとうな形に落ち着いたわけである。