1.「序」より

 「雑説 技術者の脱炭素社会」の自解(1/21)

昔日、先生企業にありし時、定年近き先輩に、この分野に経験せしところ、思ふところまとめ ( あらわ ) さんことを請ふ。先輩の答へに曰く、 斯界 ( しかい ) の動き ( はや ) くして複雑、定見記すること頗る難なり、われ一介の律儀の技術者、 ( あに ) 疎漏の論、曖昧の言残して、方寸安く余生送り滅せんやと。先生再びは請はずしてこのこと終れり。・・・表題に「雑説」と冠す。まとまりたる論ならず、いはんや具体的方策提示の意あらざる、以て示すがためなり。

 この先輩の言葉に反して今手にされているような書を作ったわけである。律儀か否かは自ら判断できないが、また記述内容にも時に僭越にすぎるところもあるが、それでも「一介の技術者」としての立場には留意したつもりである。

 今、具体的な個々の技術ではなく、脱炭素社会についてまとまった評論、所見を技術者自身が書いたものは余り例を見ない。この分野の事の様が、「動き ( はや ) くして複雑、定見記することの頗る難い」ことも理由のひとつであろう。ただ、我々より上の年代の先輩方の、現状にかんがみての戸惑いの感覚は、より強いのではと想像する。

 表題にある「雑説」は、韓退之のよく知られた文から拝借した。一つ一つの説の結論は明確ではあるが、雑多な内容(本著はエネルギー・環境、脱炭素という枠はあるが)の寄せ集めという趣旨である。また併せて本著では具体的な解決策などには及ばない、という意味をも含めている。読者の中には、著者の温暖化、脱炭素対策、原子力や火力発電についての見解が明確でない本には拒否反応のある方、また結論として具体的なそれを求める方も多いかと思うが、そのような方々には恐縮至極であるが本著はご期待に副えるものではない。

 ただここでは、適度の低炭素ではなく短期間での完全な脱炭素への移行は、人類にとって文明の根幹の変更を伴う大事業と見做すべきであり、今世界が「相応の覚悟」をもってこの「曠古の大事業」に立ち向かっているという認識を前提としていることを記しておきたい。

 いうまでもなく、人類のエネルギー利用の歴史の中で、産業革命期の薪炭バイオマスから化石燃料である石炭への転換は最も大きな出来事の一つである。今回急がれているのは、化石燃料から、太陽光、風力などの再生可能エネルギーを中心としたCO2フリーエネルギーへの転換であるが、今回の方が別して困難性が高いことはあきらかである。その規模でいえば、今の化石燃料使用量は石油換算で約100億トンであり、それと比較して産業革命前の薪炭バイオマス使用量は誠に微々たるものであった。また薪炭バイオマスは多く燃料用または製鉄用に限られていたが、今の化石燃料、特に石油は、諸産業のみならず市民の日常生活の殆どすべての面に関与し、そのための技術も広範多岐にわたる。時間的にも、英国に始まった薪炭から石炭への転換は、欧州に波及し米国、日本などへ至るまでに2世紀近くを要したが、今回は明確にあと30年弱という期限が切られている。もとより単純な比較は慎まねばならないが、「曠古の大事業」とする所以である。

本文は「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」(2023年11月、梓書院)の「自解優游」の一部です。

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