14.電力エネルギー中心の脱炭素社会

   「雑説 技術者の脱炭素社会」の自解(14/21)

頃日、メディアに脱炭素につきての評論記事あり。再生可能エネルギーよりの電力を起点となして、現状電力のみならず、運輸用から現在の石油化学製品、すなはち衣料、合成樹脂に到るまでの用途残らず賄ふといふものなり。・・脱炭素社会への転換、これ実に社会の基盤たるエネルギーの供給・利用体系の転換そのものなれば、一国の興亡に深く ( あずか ) るあり、また ( そう ) ( そう ) の変なくんばあらず

 人々に炭素、CO2などの原子・分子の認識は更になく、また自らは循環型と後世称賛の意を含めて呼ばれようとは思わなかった江戸時代も、もちろん「脱炭素社会」ではあるが、現時点で最も単純に想定される脱炭素社会は、利用する全てのエネルギーの起源が再生可能エネルギー、或いは原子力であるところの「全電化社会」である。すなわち、燃料や化学製品などは、電解水素をもとにつくられることになる。

 カーボンニュートラルの有機物である「バイオマス」の利用、或いは化石燃料を使用しても排ガス中または工程途中の炭素含有分を(多くの場合CO2の形で)回収・貯留、再利用する方法などとの併用など、もちろん諸般考慮の要はあるが、上記のような最も単純な、全てが電力で賄われる社会を仮想した場合、最重要の課題は、どれだけの量の電力が現在から追加で必要か、ということである。現状では、電力の最終エネルギ―利用に対する割合は熱量基準で4分の1程度でしかないから、かなりというべきか、膨大な量の追加電力が必要となろう。

 江戸時代は、電力エネルギーの恩恵に浴することなく成り立っていた「実質的」な脱炭素社会ではあるが、厳密には完全な脱炭素社会ではない。石炭は九州北部で「燃石」として薪の替わりに、越後地方で「臭水(くそうず)」と呼ばれた石油は灯火として、また天然ガスは煮炊きや明かりとして用いられていた。勿論これらは微々たるものであり、CO2排出についてとりたてていうものではない。ただ、首尾よく30年の後に脱炭素社会が成就したとき、「実質的」にCO排出ゼロの制限のもとで、どのような用途、どのような量の化石燃料の使用が許されることとなるのか、興味なしとしない。

 いずれにせよ、化石燃料の利用を止めて、それに代わる太宗を再生可能エネルギー或いは原子力からの電力とすると、現在の日本、また世界のエネルギーフローから大きく変わることは当然であるが、あわせて、いままでのエネルギー利用についての常識や学問・技術の、それも根幹的な部分の変更が必要となることは避け得ないであろう。

本文は「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」(2023年11月、梓書院)の「自解優游」の一部です。

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