16.脱炭素達成への難所

   「雑説 技術者の脱炭素社会」の自解(16/21)

CO2排出、今の一〇がうち二,三、或いは六、七の削減にあらずして、実質的に ( ゼロ ) とせん、はじめは出来得べくも、山場越え 掉尾 ( ちょうび ) 迫れば、その困難 ( いや ) 増すこととはならん。

 「脱炭素には困難が伴うが、もはや待てない」、とはメデイアによく見る標語であるが、この難しさは具体的にはあまり示されない。脱炭素は低炭素の単純な直線的延長ではなく、50から70、80%と進むにつれ、当然ながら難しい分が増えてくるであろう。低炭素の前半分は政治や社会・経済的観点からの対処で可能な部分も多いだろうが、本格的脱炭素に至る段階では新たな革新を要する技術的課題が優越してくる。

 例えば、ある金属の製造時のCO2排出量を半減できたという報道記事がある。もとより関係者の多大な努力の成果ではあるが、脱炭素目的には半減では不足であり、当面はともかく100%減らせる可能性がない方式であれば、いつかまた別の手法に切り替えねばならないことになる。一部ではなくすべてというのが脱炭素社会であって、いつの日か石油等の化石燃料が減耗し尽くしたとき、あるいは代替物の方がコストを含め総合的に望ましい形となった時、その必ず来る日は一昔前には石炭も含めれば100年、200年以上先と考えられていたのである。

 いずれにせよ、これらに鑑みると、今脱炭素やゼロカーボンなど、頻繁に紙面にあらわれ衆口にのぼるが、時には悲壮の感慨の一抹でも含んで発せられるべきではないか、と思う昨今である。

本文は「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」(2023年11月、梓書院)の「自解優游」の一部です。

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