18.社会の表に立つ人

   「雑説 技術者の脱炭素社会」の自解(18/21)

今、エネルギー・環境の大転換の時代にして、優れて政治的なる課題別して多し。社会の表にたちて、範垂れ人を導くべき枢要の人々、自ら任ずるに中流の 砥柱 ( しちゅう ) 以てするは今いくたりありやは知らねど、なほ古人の言葉の末借らば、彼ら「昼なせしこと、すなはち夜は天に ( もう ) す」の節義と気概あらんを願ふのみ。

 個々の技術の本質はだれにも動かしがたい(ある条件を決めれば壊れるものは壊れる、水から水素をつくるに要する電力は温度が決まれば決まる)が、その推進の方向、すなわち補助金や研究開発費対象のテーマの選定には、 時世 ( ときよ ) 時節のままにいろいろな力が働く。エネルギー・脱炭素は国や業界の浮沈に直接係ることであるから、少なくとも他の分野に比してその関与の度合いが強いことは当然である。

 脱炭素社会構築のため、技術者に対する期待は高いが、彼らが現在この問題への対処の中心にいるかとなると、やや複雑である。昨今の社会経済的動きに否応なしに巻き込まれている、という感じもある。大きな社会的関心事となっているこの分野では一般には政治家は勿論、経済評論家や著名な環境活動家の一弁舌の方が、我々の多くの報告より重宝されると秘かに按ずる技術者も少なくはないだろう。もっとも集団としての技術者は産業資本の単なる下僕ではないが、その果たす重要度に比して社会的地位は必ずしも高くない、というのは残念ながら以前からのようである。

 戦後作家の小説の中に、「諸君までが、この世界は権力によって動くと思ってしまうならば、まさしくそのと きにこそ世界はそうなるであろう」という一節がある。小説での対象は法学部の学生であった。法学徒諸子の状況には疎いが、技術者がここでいう諸君らの一人と考えるようになる事態はもとより避くべきであり、そういう意味では、「社会の表にたちて、範垂れ人を導くべき枢要の人々」の責任は重く、またその指導力が強く期待されるところである。

 ちなみに、読者諸賢が表掲文をどういうニュアンスで読まれるかわからないが、全体が通常文であればここは割愛するところであり、なんとか叙せるのは文語文だからこそである。

本文は「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」(2023年11月、梓書院)の「自解優游」の一部です。

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