20.新たな文明への分水嶺

  「雑説 技術者の脱炭素社会」の自解(20/21)

今も巷間 ( かまびす ) しき既存電力設備の再生可能エネルギーへの変換、これ現実には易からずと雖も、 嵯峨 ( さが ) たる 脱炭素社会への道のり案ずれば、半途にもなほ及ばずして、低炭素ともかく脱炭素の議論と解すは 躊躇 ( ためら ) はるところ、すなはち、真の脱炭素社会への転換はむしろこれ低炭素社会の延長ならずして、われらが文明に係る本質的の変貌意味するものとみなすべし。

 脱炭素については、第一に、既存の電力また自動車、鉄鋼迄はよく議論になるが、そのほかCO排出という意味では比率が大きい産業用の高温度から中低温度域の様々な熱需要への対応が必須にして重要である。さらには家庭用の熱需要、身の回りのプラスチックなどの化学製品製造に関わる分の脱炭素化にどう対応するか。これらの多くはいうまでもなく長い年月と技術革新によって作りあげてきたプロセスである。

 第二に、電力は前述の通り、現在我が国では熱量基準で最終用途のおよそ4分の1であるから、現在化石燃料が使用されている他の用途もすべて電力エネルギー起源とした場合、熱量基準での利用効率が同じとすると、脱炭素のためには単純計算でCO2フリーの電力が現在の4倍量必要となる。これからの省エネ努力、また人口減、また何より電力の高い利用効率を勘案すれば、それほどにはならないにしても相当量が必要であろう。その廉価大量の電力をいかに確保するか。

 上述したようなものが脱炭素社会実現のための課題であって、現在主になされている既存分の、それも一部の電力についての云々は、これすらなかなかの難題であることは目の前に見られる通りであるが、脱炭素ではなく低炭素の入り口段階に過ぎないというべきであろう。ただ低炭素の入り口は、脱炭素の入り口でもあるから別に用語に不都合はなく、逆に「低炭素」などという中途半端はもはや許されぬ、という世情でもある。

 いずれにせよ、脱炭素社会への転換は生易しいものではなく、われわれの文明の一大転機をもたらす大事業と見做すべきであろう。少し前まで盛んに「石油文明」といわれ、事態は今も殆ど変わっていない。それが石油はいうにおよばず「化石燃料」のすべてを基本的に使わないということであるから、文明の問題となることは当然である。すなわち、現在の脱炭素社会へ向けての活動が、「相応の覚悟」と「確かな目論見」によってなされているとすれば、我々は新たな文明への分水嶺の目撃者たる運命を担っていることになる。もしその覚悟と目論見なくして今の状況があるとすれば・・それは考えたくないことではある、という位に ( とど ) めておこう。

本文は「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」(2023年11月、梓書院)の「自解優游」の一部です。

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