3.物質とエネルギー

   「雑説 技術者の脱炭素社会」の自解(3/21)

今、時にCOをして資源となせるもの目にすることあり。これもとより炭素含む物質資源にはあれど、エネルギー資源にてはあらず。或る燃料をば空気(酸素)にて燃焼し、その熱エネルギー利用したるあとのCO2、これ再び空気にて燃えるべく変えるには、外よりエネルギー加ふ要あり。

 いつの世も、定説や常識の打破にことのほか執心される発明家、技術者にこと欠くことはないが、永久機関は昔から情熱が注がれる対象の一つであった。最近よくでてくる「CO2からメタン」、「水から水素、アンモニア」、表題だけからすると、あからさまに永久機関が可能といっているようなものである。エネルギーについて、無から有を生む魔法の杖はなく、脱炭素との関係でまず示されるべきは、物質ではなくエネルギーの変化、変換に必要なエネルギーについてである。温暖化の原因とされるのは物質としてのCOであるが、それは人類が化石燃料をエネルギーとして利用した結果のものだからである。

 ある若手の先生によれば、何事も単純ですっきりまとまった説明を、一般人のみならず最近の学生諸君も好むらしい。マスメデイアも心得ている。脱炭素を目的にCO2をある燃料に替えるには外から最低限決まった量の、水素等の化学エネルギー、或いは電気エネルギーが必要なこと、更にそれらをつくるもとは、いろいろと課題も指摘される太陽光・風力発電や原子力などである、というような正確を期すには面倒な説明を嫌うのである。

 すなわちここでCO2、水は原料物質として利用されているだけである。物質とエネルギーの関係は中学でも習うから皆判っている筈とならないのは誠に遺憾なことで、例えば、ある燃料を加熱したら、重量で3割のガスがでていき、そのガスのもっているエネルギーは元の2割だったとして、合計5割のものが出て行ったのか、などと思う人が時におられる。もっとも、このようなことは18世紀西欧で明確にされたことで、それまでの人類の大半の歴史では知られなかったことであるから無理はないともいえる。ただこういう人達が環境やエネルギーの大問題について為政し大声を発していないことを願うばかりである。

本文は「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」(2023年11月、梓書院)の「自解優游」の一部です。

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