4.水素の知識

  「雑説 技術者の脱炭素社会」の自解(4/21)

縷々 ( るる ) 述べきたりしこれらのこと、いづれも今更改め説くに足らざることなり。ただわれ観ずるに、かくなるエネルギー・環境問題考究の大前提につきての知識・認識、一般衆庶は論なく、直接の関係者以外に余りなきが如し、時に嘆を発せざるべからず。・・これ、論なき 贅余 ( ぜいよ ) の閑話となすに当たらず。昔より識者繰り返し云ひ及べるも、寸毫だに変はらざること、この分野にも少なくはなし。

 シェークスピア劇中の有名な台詞や、唐代詩文の李杜韓柳が誰を指すかを知らないのは、やや恥ずかしいと思われる通常一般の生活人もおられるだろうが、一方、CO2の分子量、酸化還元と中和の区別、晩酌に供するエタノールの化学式、エネルギーJと動力Wの関係など、中学理科の知識はなくとも一片の恥の感覚をもたないのが通例である。

 さすれば、脱炭素社会訴求に厳しき今、話題の一つの中心である「水素」についても、これをどうやってつくるのか、一般の理解のほどが時に心配となる。電気が山の中に埋まっているとはだれも思わないし、ガソリンは石油(原油)から作ることも皆知っている。ところが水素となると、なかなか判り難いようである。

 水素は、「天より落つるにあらず、地より湧くにあらざる」ものである**注(2次エネルギーと称される)。そして前節でも述べたように、エネルギーを持たない水を原料としてつくるには、エネルギー保存則によって、他からエネルギーを与えねばならず、それが、例えば太陽光発電からの電力であれば、その必要最小値も決まっている。上記の李白・杜甫・韓愈・柳宗元の類の知識は、現在の社会では何の実用性もないが、こちらは脱炭素社会の理解のためには最低限の「実用的」な知識の筈である。

 こういうことに改めて言い及ぶことは、以前には殆ど必要がなかった。関与し、またコメントする人が専門家ばかりだったからであるが、多くの人がいろいろな場で発言し関与するようになった今となってはそれはかなり遠い昔のことのように感じられる。

 ちなみに現在の水素の大気中濃度は0.5ppm程度である。水素がどれほど有用で、「燃やせば水しかできない(恒星での核融合ではないから当りまえである)」クリーンなものでも、エネルギーの損失になることは明らかだからこれを技術革新によって集めようとする人はいないだろう。

**注) 最近になって天然水素が話題になっている。この部分は旧来の知識のままに書きすぎてしまった感があり、せめて「現状では大量の」の限定くらいつけておけば、と後悔する次第である。詳細は一次エネルギーとしての天然水素ご参照(2024年3月記)。 

本文は「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」(2023年11月、梓書院)の「自解優游」の一部です。

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