6.自然エネルギー利用の課題

  「雑説 技術者の脱炭素社会」の自解(6/21)

現在の化石燃料、核燃料資源の、またその利用設備の濃縮、集積、安定に対し、量は膨大ながら、自然エネルギーの希薄、分散、変動の本質的なる課題、これら良く克服して以て温暖化、資源枯渇の課題に処し、なほ先の世に繋げる、この重要なることもとより見を異にするものにあらず。

 今まで多くの識者が繰り返し評したように、太陽光、風力などの利用にあたっては、その季節昼夜の変動、加えて希薄分散という欠点は否めない。季節や昼夜の変動は、蓄電池や利用システムの革新で対応できる部分もあるが、希薄性は自然エネルギーの本質的な問題である。例えば、もし安定して風速100mの所が地上に相当面積あったり、太陽光の強度が現状の100倍の場所があったりれば、我々の現在の科学技術をもってすれば、これをもとに発電したり、産業用に利用することはさして困難なことではないであろう。ただ、あいにくそういう場所は少なくとも人類が生まれてよりこのかた存在したことはない。

 そのような遍くして膨大ではあるが希薄な自然エネルギーの利用に成功したのがいうまでもなく植物であり、数億年の進化の結果として現在の形がある。我々動物はその植物の光合成の成果をエネルギー源として食し、生きているわけである。そして化石燃料は、過去の光合成の成果、すなわち太陽エネルギーが濃縮した塊である。したがって採取も容易であり、電気や熱などへの変換装置も圧倒的に小さくてすむ。原子力発電の燃料であるウランも同様である。他の動物にとっては将来も殆ど意味がないであろう、これらのエネルギーの塊を人類が独占し本格的に消費して300年近くが経過した。

 今、2050年までに脱炭素、カーボンニュートラルの目標が掲げられ、この化石燃料の利用の制限が現実的な課題となっている。その代替の主役は太陽エネルギー、具体的には太陽光発電・風力発電が擬されている。希薄な存在形態であり、またバイオマスを除き主たる第一次生産物が電力である再生可能エネルギー主体の、或いは原子力をも併用してつくられる脱炭素社会とは、具体的にはどのようなものだろうか? 

 化石燃料が将来のいつの日か減耗・枯渇するとすれば、その日からは脱炭素社会にならざるを得ないから、このような考察は昔からいろいろな形でなされてきたが、今や差し迫った課題として人類の前に立ち現れている。すなわち、「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」、本篇にも引いたが、化石燃料を使わなくなる、このいつかくる日をみずからの意思で決めたたわけである。

本文は「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」(2023年11月、梓書院)の「自解優游」の一部です。

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