ひと日孫樹先生、ある知己に招ぜられ、工学系の学生、教員に「脱炭素社会考」と題し、久方ぶりの講話をなす、その冒頭に曰く、
世あげて今、温暖化、気候変動の難避けるを急とせり。その主因CO2とせば、これすなはち、
直截
にエネルギー利用の問題にして、加ふるにことの性格上、先進国、途上国また大都市、
辺陬
*の区別なき全世界が課題なり。実験室での科学的、技術的革新あるも、同時にそれ、要請の時間制限のうちにて、実用的のシステムとなし、すみやかに世界へ拡げるを要す。いかなる計、手立てを以てかこれに処せん。今、近き日の話には多く政治や経済の、技術
外
なる彩り濃く加はることあれば、ここに相応しからず。されば三〇年先の目標とさる脱炭素社会、これまたさして遠くはなき日なれど、如何なるものになるや、聊か僭越の
咎
あらんが、今はそれ顧みずして説かん。
エネルギー分野の技術、意表つくが如きの妙案
出
だすは少しく艱なり。厳たる熱力学また物理化学の制限、思ふべし。電子情報、医療など、生活を便利安全に、快適にせんがための技術は、
輓
近
の進展目覚ましく、また今後も大いなる技術革新の絶ゆるなく続かんが、エネルギーにつきては、趣きやや異なれり。表には、時に華々しく現はるあれど、地道の研究開発必要なるテーマ過半なり。試みに、30年前に挙げられし温暖化対策案が項目一覧すれば、
幾何
の変異加はるも、現今と大差なきこと了解さるべし。
然
りと雖も、頼るはやはり効験あらたかの科学技術といはる。
すなはち今、できるだけ早き時期に低炭素社会、更に進みて脱炭素社会へと
謳
はれ、その達成がため科学者、技術者に多くの役割期待されてあり。これ短かき間に世界に遍く成さんとは、けだし
曠
古
*の大事業と云ふべけんや。具体の施策、ただに産業界のみならずして、一国の隆替にも直ちに関はればなり。この目標の格別なれば、こと易く進むとは思へず。途次、進退歩みに惑ふが如き、またあるべし。
CO2排出、今の一〇がうち二,三、或いは六、七の削減にあらずして、実質的に
零
とせん、はじめは出来得べくも、山場越え
掉尾
迫れば、その困難
弥
増すこととはならん。今も巷間
喧
しき既存電力設備の再生可能エネルギーへの変換、これ現実には易からずと雖も、
嵯峨
*たる 脱炭素社会への道のり案ずれば、半途にもなほ及ばずして、低炭素ともかく脱炭素の議論と解すは
躊躇
はるところ、すなはち、真の脱炭素社会への転換はむしろこれ低炭素社会の延長ならずして、われらが文明に係る本質的の変貌意味するものとみなすべし。
具体的に云はば、石炭控ふべきも天然ガスは可なり、自動車のガソリン・軽油は電力代替するも、鉄鋼冶金また衣料、合成樹脂などの製品やむなしといふにあらずして、退くに五十歩百歩を論ぜずと解せば、おのづから宏遠の
謀
要すらん。而してこの世のことすべて不可逆なれば、最初に
慮
りの深き、結構の具体なくして進むは、これすなはち危ふきにして、一旦の機宜の策、果たして本意の成就に繋がるや、案ずべきは多し。されどまた、
憖
ひならざれば、実行難易の評価ひとまず脇に置くも、対処計策の思考実験には適せり。何事も極まりたる場合の考察、必須にして益また少なしとせず。
彫
虫
篆刻
*の細部より、むしろ
蕪雑
*の大枠肝要なること、これエネルギー問題の特質でもあれば、今聊かの粗略は
宥恕
*されたし。
孫樹先生続けるに以て曰く、
ここに簡略がため、森林CO2につきては定常状態とせん。様々の変異、折衷的の方法もとよりあるべしも、極端のケース想定するに、次の二方法ならん。すなはち、すべての化石燃料使用を廃す(第一案)、化石燃料今に変はらず利用するも、すべての排出CO2を回収せしのち大気より隔離す(第二案)の二法なり。第一案本道となして、やむことを得ずして第二案補充する形、現実的なるべし。
第一案、化石燃料の全き使用廃止となす。石油石炭などの化石燃料、尽くるなくして地中に虚しく捨て置かれることとはなる。もし方今のCO2問題なきとしても、化石燃料
漸
くに減耗払底なりたる将来のある時、その経済価格、他と競ふ能はざる状況とならば、化石燃料の利用おのづから止まり、CO2排出また止まるべし。この案、その時期半世紀
乃至
一世紀をも越えて、強制前倒しせんとのものなり。
現在の電力は、今議論されているが如く、化石燃料に替へて太陽光、風力、水力、バイオマス、原子力などを元とはせん。自動車などの輸送用には、これらからの電力(蓄電池型)或いは電解水素(燃料電池、または内燃機型)、またはバイオマス由来の燃料用ゐることとならんか。ただ今、化石燃料がうち電力へ振向けられるは、日本でも熱量比率にして一〇がうち
略
四、自動車へは二にして、CO2排出
零
といふ場合、残りの鉄鋼冶金、産業用・家庭用の熱、更には化学工業などへの対処、これ課題としては、大にしてかつ難なるべし。これらには例へば電力、バイオマスの利用、または電力起源の水素そのまま、或いは別途に炭素源補ひ(第二案にて回収したるCO2の再利用等)使ひ慣れたる炭化水素として用ゐる方法など想定さる。すなはち、再生可能エネルギー或いは原子力よりの電力の広汎なる利用、この案の中核なり。而して、バイオマス使はず、また水素等の輸入なくして、これらの用途全て賄ふに、電力のみに依れば、効率、エネルギーの質・形態、昼夜夏冬の運用法など、諸般考慮の要あれど、今わが
邦
の電力は最終消費にて全体の四分が一に過ぎざれば、炭素フリー電力の膨大量の追加要すべし。本格電力利用の時代、明治以降わずかに百数十年がことなり。電力への過ぎたる依存に思はざる危険なきや、なほ検さるべきならん。加ふるに、今、衣食住ふくめ、日常生活に化石燃料、わけても石油の役割重きこと改めて顧みれば、低炭素ともかく、脱炭素めざすに、化石燃料脱したる化学工業の相応の実用的体系もつこと、これ廉価大量の再生可能エネルギー或いは原子力での電力供給とともに、本案枢要の課題と目すべし。
第二案、これ仮想の極論なるが、化石燃料利用の現状継続せしまま、排出のCO2すべて回収するものとなす。エネルギーの全体使用量、また再生可能エネルギー、原子力よりの供給量、概ね現状と変はらず、化石燃料の使用量またしかり、といふ場合なり。発電所、工場のみにあらずして、全ゆる排出源よりのCO2回収となりせば、それ困難の場合、例へば自動車、家庭用ガス燃料など、再生可能エネルギー或いは原子力を元とする別手段の採らるべし。
燃焼排ガス中或いは工程途中のCO2の回収と貯蔵・利用、これ既に半世紀近く前よりの考査に係り、当時は温暖化影響
目睫
*の間なる場合の緊急避難、或いは保険的手段と見做されゐたると覚えたり。ただ、回収、液化、運搬、貯蔵それぞれに相応のエネルギーと設備の不可欠なること当然にして、その所要エネルギー分は、更なる発電等により補ふ要あり、加へて膨大量のCO2貯蔵場所の確保、環境への影響評価、主要なる課題なるべし。また、他の多くのエネルギー関連の方策は、化石燃料枯渇対策への貢献併せあるに、この方法自体にはその効あらずしてむしろ逆なり。されば、第一案でなほ対処難なる分へ及ぼす、といふより実施せずして済まば、それに優るなき手段となすべきなり。とは云へ、低炭素ともかく、脱炭素目指すとすれば、CO2 の回収と地中・海中への貯留、或いは、更なるエネルギー損失ありても再生可能エネルギーまたは原子力由来の電解水素用ゐてのメタノール、メタン等有機物への転換、これなくして成るは難からん。
加へて云ふ、脱炭素とはいへ、今、石油起源原料の医薬品は
須
らく漢方薬草、天然物由来にといふ世界とは、誰も思はざるべし。ただ、森林吸収などの勘案含みて、許さるべき用途範囲、これいかなる迄及ぶか不明なるは、いつか進みて
喧囂
*議論の種とはならん。また困難良く克服してCO2排出八割九割減となりたるのちの、更なるCO2低減と温暖化抑止効果の投資対効果比、加へて他の温室効果ガスN2O(亜酸化窒素)やメタン低減との関係は
如何
なるや。これら
按
ずるほどに、低炭素ともかく脱炭素、これ手に
唾
して掛け声出だせばこと進む類のものならず、空元気の口笛また用をなさずの感なきにあらず。
孫樹先生、更に続けるに以て曰く、
やはり最大の課題、一次エネルギーの確保、供給ならん。今、化石燃料その大半にして、かつそれも殆どを海外に頼るわが邦に於いて、特にしかり。
世界今、化石燃料退け、これに替るに再生可能エネルギーを以てせんとす。この化石燃料、輓近200年にわたりて、エネルギー供給の太宗なりき。されどこれ生憎にして、技術革新を以て人類の考案発明せしものにあらず。遥かの往昔、偶然に在るを見出し、今大規模に掘削して利用しゐるに過ぎず。地表での光合成の複雑精妙の反応、続くに地中での圧力・温度の調整、実に多大の労力と時間を費せし地球よりの贈り物と云ふべし。而して半世紀前の感覚にして云はば、かかる有機体は貴重にして、でき得べくんば電力は原子力、水力、太陽熱(当時は光直接ならずして、熱としての利用主たり)など元に賄ひ、石油、石炭は工業用原料として、後裔世代がため残し置くべきとの所論少なからず。けだし当時ありし、将来の核エネルギー利用への多大なる期待、その背景なるべし。
半世紀へて方今のことの
様
、ひと皆知るところなり。現在は石油に支へられし文明といふべく、化石燃料、わけても石油の最大利用量となる時点、すなはちその頂点にして、のちの軟着陸の行程は厄介にして難多き課題との評もありき。人為的CO2排出
零
とせんがため、この化石燃料使用の完全なる廃止仮定すれば、残るは原子力、再生可能エネルギー以外にはなし。これら低廉にして豊富に得られ、また時の余裕あらば、技術の貢献なほありて、先の第一案、第二案も別して窮屈ならず組むも可なるべし。すなはち例求むれば、水素とその誘導体、また電動自動車(蓄電池、燃料電池駆動)など如何様の形にて使ふとも、CO2排出といふ一点に尽きては心労すに及ばず。
原子力につきては、議論
許多
ある処なるも、やはり多く再生可能エネルギーに頼ることとはならんか。一次エネルギーの分野で、何か別種類の革新的技術新しく起こること、例へば、かつての常温核融合なるが如きものの
忽焉
として出できて、工業化され世界に広がること、これ望み薄きを
覬覦
*するものなるべし。語変ずれば、様々の研究なほ要すべくもとよりなるも、未だなきもの
恣
に未来へ
憑
むは、これ今人の身勝手とせざるを得ず。すなはち技術の大要は今あるものにて処すべきにして、もはや他に神機妙算*なしと覚悟すべき時ならん。
その期待大なる再生可能エネルギー利用がための課題、化石燃料が如くに濃縮されては存在せざるに多く起因せり。もし石油や石炭が如く、太陽光或いは風力の地表ところどころに一〇〇倍、一〇〇〇倍安定して濃縮さる在れば、今の工業技術の延長に依りて、低廉の電力へ替えるなど容易ならんが、これ太古自然の定めなれば致し方なし。
再生可能エネルギーの賦存量、利用可能量につきては、統計自体の不確実性あり、作成者の楽観、悲観双方またあり、論者により大きく異なること避け得ず。再生可能エネルギーに限らず、エネルギーの供給・需要の予測多けれど、その結果あらわるに、一〇年、二〇年或いは更に長きの期間要するあり、先行きの観望ことのほか難なり。
1990年代、特に欧州のバイオマスへの期待高くして、国際機関報告にもあるが如く、将来、世界エネルギー需要の半分は、バイオマスより供給可能ならんとの論もありき。エネルギー作物の供給、利用技術の進展期待せしものなりしが、今それは
稍
退きて、世人多く望み寄せるに以て風力、太陽光発電となすが如し。すなはち今、時を得てそれらが発電単価、世界的に低下せり。好ましきことなれど、これ技術革新の成果といふより、生産技術、量産技術の向上と学習効果、また諸々の施策に依るところ大なり。而して予想されしことながら、その
弊竇
*、一部
顕
れて議論されるに至れり。すなはちわが邦では、太陽光・風力発電設備の用地確保がための森林伐採、台風による損壊、騒音などなり。将来には、多量の人工物設置にかかる環境毀損、或いは使用材料廃棄に伴ふ弊害などへの配慮、なほなくんばあるべからず。尤も、何ごともかかる曲行屈折の克服ありて、世の中へ拡がり行くものなるべし。ここに補して思ふことあり、低炭素ならず、脱炭素目指すならば、再生可能エネルギーがうち唯一の有機資源たるバイオマスの意義、今後再び大とはならん。
期待大きくして、懸案なほ少なくはなき再生可能エネルギーなれど、半世紀を越えて云はれ続けし、その利用拡大の必須なること、今も大方の異存なきところなるべし。而して今、エネルギー原料殆どを海外に頼れる資源小国にして消費大国のわが邦、国土狭小なれば再生可能エネルギーのみにては難かるべく、原子力また議論多きと云はんの状なり。
邦家
戦後の目覚ましき復興成長は、豊富廉価の化石燃料に依る所大きなること言を俟たず。その調達の体制は、もとより関係者長年の努めしところに負ふものなるも、脱炭素進めば世界のエネルギー地政図、大きに変ぜざる能はず。今、石油、石炭、天然ガス更にはバイオマスすら輸入するが如く、先には電力由来の水素など、海外に
憑
むこととなるや。またそれ盛んとなる時、今衰退の産業競争がための
力
根
*のよく復してありや。而して
国帑
*の費え、その減じ増ゆること
幾許
ならんや、案ずべきは少なからず。
孫樹先生、講を括るに以て曰く、
エネルギー利用の低炭素より脱炭素への大きなる時代の流れは、今後とも
止
まることなからん。これ否定せず、といふより、化石燃料に寿命あるを思へば、これ格別のことならずして、
曩
日
*想ひし行く末
遥々
の心算、今日はたちまち厳しき現実課題へと変ぜるもの、すなはち制限時間の急となりたるも、われら数十年前より予測し備へたりしところのものとなすも可なり。ただ、ことのほか急なること否めざれば、それ今より実際に如何なる時間的経過にて、如何なる技術を基軸に進みゆくか、俄かの予測は難し。上に述べ来たりしは、もとより脱炭素社会にあり得る形の単純至極、粗放の概念に過ぎず。午下几案*の一計を出でずの感もあらんが、これ望ましき世なるや、或いは致し方なき世なるや、
将
また別異の良き
籌
略
あるや等々、諸兄姉
自
ら宜しく察すべし。
現在の化石燃料、核燃料資源の、またその利用設備の濃縮、集積、安定に対し、量は膨大ながら、自然エネルギーの希薄、分散、変動の本質的なる課題、これら良く克服して以て温暖化、資源枯渇の課題に処し、なほ先の世に繋げる、この重要なることもとより見を異にするものにあらず。ただ、その前にエネルギー利用を控へるの発想、加へてあるべきかと思はる。何ごともほどほどに、分を
弁
ふ、これ持続可能とせんがための基本ならんや。益軒養生訓に云へるあり、「長命をたもちて久しく安楽ならん事を願はば、慾をほしゐままにすべからず。欲をこらゆるは長命の基也。慾をほしゐままにするは短命の基也。
恣
なると忍ぶとは、是
寿
と
夭
とのわかるる所也」(7)、人の養生、社会の養生もとは変はらず。古賢も云ふ、「禍ひは、足るを知らざるより大は
莫
し」、「足るを知る者は富む」と。生命四〇億年前の誕生より
曠劫
*の年月世代かけ進化しきたりしが、すなはち現在の生物にして、その最先端に在るは独りヒトのみにあらず、また太陽光や風、ヒトがためにのみ存するにあらず。
科学日に進めば、技術月に長ず、科学と技術の進歩、止まらず、また止める能はず、これ科学、技術の本質的性格なれど、その速度と内容にはおのづからなる制約あり。主要部分が簡明なる化学式で示すことでき、エネルギー的にも適切のプロセスと雖も、実際に世に出るには筆舌尽くし難き努力、時に幸運さへ必要なること、経験深き技術者多く身をもちて知りしところなり。而して現今の技術者、要請の無理筋なるも、なほそれ叶はじとは思ふも口には出ださず、また出す能はざるの構造になりたる部分もあり。社会的立場、本人の知識・経験、或いは気質よりの楽観・悲観双方あるべしとは思へど、科学技術、万能ならずして、人間の限りなき欲望、幻想を満たすこと、いはんやそれ限られたる時間、経済的制約のうちに成すは難きこと
斜
めならず、これ世人また当の技術者、心に留めおくべきならん。
今、エネルギーの大変革期なること疑ひなし。思へば、120余年前の19世紀末、時の世界人口約16億人、今60億人と4倍に、使用エネルギーは石油換算約2億トンが今略100億トンと実に50倍となりたり。また当時の主体石炭なりしが、現在は石油、石炭、天然ガス、原子力、再生可能エネルギーと多様に変じき。高度の文明社会とはなるも、国際情勢、諸国間対立厳しきものあり。諸々の課題、生易しき料簡にては成らず、解決単純ならざること当然にして、ことさらの強調は無用なるべし。また、複雑ならばこそ、この状況切り拓くこと、励むに大いなる甲斐与へん。ともあれ具体的の対応技術供するは、われら技術者なり。企てずしては何ごともならず、若き諸君、日々業務に怱忙たらんが、今かくなる時代なりせば、平凡なるもまずは宜しく自ら考へ、全体俯瞰して良質課題の策定を為し、以てすくやかに日々精進なさんこと、わが
庶幾
するところとなす。
講話の日より、秋月の
盈虧
*一巡にして、この
眇
*たる小冊子なる。時に面白をかしく格なほ失せず、孫樹先生文つくり拙きながら、これ常は苦心置くところなるが、改めて辿り返すに、ことの性格また力量のしからしめるに依らん、その余裕
趣
なきの憾みなしとせず。而して先生、このこと、われに於て既に尽くせりとして、これより自ら談ぜず、また受けず。或る個別具体の技術開発に
専
らなる日常とはなれり。
四時
の花賞し泉石訪ねて余生を
偸
むには
稍
早かりしがためなり。
辺陬 国の中心から遠く離れていること。かたいなか。
曠古 今までに例のないこと。未曽有。
嵯峨 山などの高く険しいさま。
彫虫篆刻 細かな技巧に執着することのたとえ。
蕪雑 雑然としていること。またそのさま。
宥恕 とがめないこと。
目睫 目とまつげのように極めて近いところ。目前。
喧囂 がやがやとやかましいこと。
覬覦 過分なことを望み願うこと。
神機妙算 常人にははかり知ることのできない、すばらしい計略
弊竇 弊害、欠陥。
力根 力量、実力。
国帑 国家の財産。帑はかねぐら。
曩日 先の日、昔。
几案 机のこと。
曠劫 きわめて長い年月。
盈虧 月が満ち(盈)欠け(虧)すること。
眇 ちいさい、かすかな。
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