実験の安全と整理整頓  「企業の実験・大学の実験」抜粋(その2)

実験の安全 

 企業に行けば、安全管理の重要性はすぐに認識する。事故が起こると、実験は止まってしまうし、場合によってはその研究開発自体が中止になることもある。大学はそれに比較すると、緩い感じを持たれるかも知れない。確かにその部分はあるが、学生を怪我なく社会に送り出すことは、実験系教官の最も大きな目標の一つと言っても過言ではない。

 半世紀前の学生の頃、別の大学から赴任されてきた若い先生が「ここの学生さんは大人しいですね、元いた処では、指の一本や二本なくす学生が毎年いましたよ」とかなり物騒なことを冗談ともつかず言っておられたのを思い出す。学業や就職の問題とはことの性格が違うが、父母から受けた身体を毀傷することは、学生本人はもとより、教官としても一生の悔いになる。

 今の実験室にくる前の現役教員の時、向う正面の実験室には「 ( くん ) ( しゅ ) 山門に入るを許さず」という担当教授の筆になる一札が貼られていた。教授は休日には希望の学生を禅寺に連れて行ったりされていた。この句は、 ( なまぐ ) さい野菜や酒のような心を乱し修行の妨げになるものは持ち込むな、という禅寺の戒めである。葷酒は例えであって(葷はともかく、懇親会用の缶ビール位は冷蔵庫にあったかも知れないが)、実験室は禅寺のような神聖な道場で、厳然粛々たる気持ちで実験に努めるべきとの教えだったのであろう。もっとも、この貼札の効用について聞きそびれているうちに定年で退かれた。

 実験室には居室や会議室とは違った一種独特の雰囲気がある。それなりの緊張感と熱気は必須であろうが、企業でも大学でも、指導者により研究や実験の方針はかなり異なる。「おもしろおかしく」を研究室の是として、のびのびと実験させることも勿論結構であり、実験室には椅子をおかず、正しい立ち姿勢で実験させることも、実験の種類によっては大変教育的であろう(もっとも大学によっては学生数が多く、実験室が 狭隘 ( きょうあい ) で椅子を置けない処もあろうが)。しかし安全に対しては等しく厳格でなければならない。自動車運転でも、事故を起こした経験のある人では、最初の事故は初心者マークのうちが三分の一という調査結果もある。実験も同様に、まずは大学での安全教育が必要であり、効果も大きい。

 特に初心の学生は、好奇心にかられ、また功名心にはやることがある。「安全に気をつけるように」では勿論何をいっていることにもならない。具体的に、この装置のこの部分は表面温度が最高何度になるから、触ると火傷の可能性がある、必要な時は断熱手袋を着用することなど、具体的な指示が必要である。現役教官時代には、学生が研究室に配属されてくると、最初の日に安全の話をすることにしていた。有毒ガスや可燃性ガスのボンベ、高温の電気炉、ガラス器材などを扱うから当然である。防塵マスク、ゴーグル、高温用の耐熱手袋は常備品であるし、実験室の安全標語「一寸待て、その作業は安全か?」は、ステッカーにして壁に掲示してある。ただ企業のこの類の会議にはある種の緊張感があるが、学生諸君は、安全などにまずは興味は薄いから、概ね悠然たるものである。今は所属の学生はいなくなったが、研究連携の先生の学生さんが7、8人不定期に来て実験をする。最初に実験の安全管理の責任は、事前の協議通り担当の先生であることの念押しをする。何か一事ある時、責めを負う人間が、最も考えて対策を練り対処するから、責任者を明確に特定することが安全管理の基本中の基本であり、それで半分近くは終わりである。

 それでも最後に全員が事故なく無事に卒業してくれると、本当にほっとする。化学関係の先生の回顧録などをみると、昔は火災・爆発からの人身事故が多かったようで、退職の日の解放された気持ちの中には、 向後 ( こうご ) の事故の心配が解消された安堵が含まれる場合も多い。例えばある先生は、いかにも昭和の時代らしく退職の日に奥様が鯛の尾頭つきを出され、今日からは安心して眠れます、といわれたことを後年出版された本で述懐されている。この先生は、学園紛争をはじめ、色々な騒動に巻き込まれ、かなり波乱万丈の教官生活であられたから、それらも念頭にあったかも知れないが、学科の学生が爆発で大火傷を負った何件かの事故の記述のあとにでてきていることからすれば、学生の安全が奥様の心配の最大事であったことは間違いないことである。

(中略)

整理整頓と掃除

 安全と実験室の整理整頓は、当然関連し相 ( わた ) るものであり、整理整頓は安全遵守のための基本の一つである。企業の管理職をしていた頃、ある実験についての安全対策会議で、整理整頓の必要性について説明し、会議室から机に戻ってくると、会議に同席していた一人の部下が寄ってきて、「きれいに片付いた仕事場から創造的な何かは生まれない」という小表題のコピーの一頁を差し出した。出典不明のその部分を走り読みすると、対象は主に文筆業の仕事場で、整理整頓が異常に行き届いた場所には、資料と道具と人間が入り乱れる独特のダイナミックな雰囲気がないと至極まともなことが書いてある。

 実際、企業とは違い、また勿論文筆業とも違うが、大学では居室の整理が極端に悪い先生の割合は想像する以上で、入り乱れた書籍書類、暖房機、食器など手回り道具の中に埋もれておられる。その先生にとって最大の成果が期待できる乱雑度なのであろう。もっとも、先生方の部屋をそれほどの数覗いた訳ではないので、その乱雑度と、居住者の創造力との相関には言及しかねる。

それはともかく実験室は、当然ながら 操觚 ( そうこ ) 物書きの仕事場とも、研究室とも、また生産現場とも違う。安全確保のため、作業効率向上のため、ものを直角並行に揃えたり、当座必要ではない薬品はきちんと薬品庫に保管するなど、定期的な整理整頓が必要である。昔の大学にはいくつかあった怪しげな錬金術師の実験室を思わせるような所は、今はもうない。

 そしてそのための手段となり、精神修養の糧ともできる掃除もまた重要な作業である。今も経営の神様と崇められる電気機器製造・販売会社の創業者は、掃除の重要性を説かれ、その私塾生に「掃除ひとつできないような人間だったら、何もできない。皆さんは、そんなことはもう、三つ子の時分から知っている、と思うかもしれないが、ほんとうは掃除を完全にするということは、一大事業です。」(6) ( ゆう ) ( あく ) なるお言葉を残されておられる。

 企業に入社したての頃、朝のラジオ体操の前に研究室員全員で、居室と実験室のモッブ拭き掃除をしていた。半世紀を経て、所属の学生諸君がいなくなった今、狭くはなき実験室に自ら 箕帚 ( きそう ) をとる。電気掃除機ではなく、文字通りのちりとりとほうきである。机での作業に倦んだ時、修養とまでいかずとも気晴らしではある。多くはないが、不要書類、雑誌、生ごみ、ペットボトルなどがたまれば、分別して市指定のごみ袋に入れ、やや離れた集積所に持っていく。歩きながら、時に手にしたゴミのエネルギー量や再生可能性、またこれから得られるであろう電力量などについて考えることがあるのは、職業的習性である。一度学内の人に見咎められたことがある。大学の老教員がごみ袋を手にしてくるとは想像しなかったのだろう、何処からかごみを持ち込んできたと思われたようである。

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