永久機関の話など  企業の実験・ 大学の実験」(抜粋その2)

基本法則の理解

 ある燃料を空気で燃焼させた後に生じたCO2を、再び空気で燃える形にするには、外から水素など独立して燃料になるものを加える必要がある。単純なエネルギー保存則である。また今後いかなる技術革新があっても、水から水素を作る電力が、各段に少なくなるようなことはない。ある温度、ある圧力では、水素1立米を作るに必要な最低の電力量は決まっているからである。もしこれらに逆らうことを企てても、時間の浪費で意味はない。ただ、とかく具体的で小さな誤りは気づきやすいが、抽象的で大きな誤りは気づきにくいものである。

 日々真剣勝負できびきびと立ち働いている若い技術者諸君には、上記例は判り切った無駄話かも知れないが、自らの関与するものが、致命的な欠陥のない実験なのか、時にチェックすることは必要である。例えば、化学反応の実験で物質収支、熱収支をはじめ、物理化学、熱力学の法則に反していないことの確認であり、化学平衡で律せられる反応の実験結果が、計算を越えて進んでいたとすれば実験結果がおかしいか、計算の仮定に改善が必要なのである。

永久機関の話

 やればできる、面白いからやる、やってみないと判らないし、やらなければ永久にできない、このような科学界或いは産業界に大功あった方の一言が見出しになった記事を時折目にするが、実際にはそれらの短い発言の裏には相応の経験の蓄積、 蘊奥 ( うんのう ) が秘められている。短く記憶しやすいメッセージが見聞きする人の意欲に繋がれば誠に結構であるが、もともと出来ないことをやっても仕方がない。ただ、物理化学や熱力学教科書の冒頭近くにでてくる「当然のこと」と思われる無味乾燥の記述も、眼前に堂々と示されると、案外に戸惑うものである。

 以前読んだ本に、永久機関の話があった。かなり昔のことのようであるが、さる大学付属の研究所で、ある外部の考案者から永久機関の案図が出されたところ、居合わせた名だたる教授連一同、みなそれに感じ入って、誰一人その欠陥の説明が即座にできなかったということである。勿論、何処かにごまかしがあることは判っているが、具体的にどこが、どういう理由でいけないのか、判じるに難かったわけである(2)。教授連の困惑顔を思うと、第二次大戦直前の日本海軍の、詳細は不明であるがおそらくは永久機関の提案であろう「水からガソリン」詐欺騒動などの話とは趣きがまた違って、微笑ましいものがある。ちなみに、昔は「他人に害を及ぼすことがない」という理由で永久機関の発明に特許権を付与する国もあったようである。本格的な工業的・大掛かりの実験、或いは事業になれば欠陥はすぐにあらわれて、一徹な永久機関発明者は経済損失と名誉失墜で目が覚める、ということであろう。 

 ただし、このような誤りではあっても高級な話が来れば、如何に現役多忙時とはいえ興味をひかれて膝をのりだしたはずだが、あいにく世の中には、最終的には間違いではあっても皆が感じ入るような卓越した考案は、やはり多くはないようである。

 

相談されて困ること

 今は、来客がある場合には、予めネットでその人の経歴や専門分野の情報を得て、実際に来られた折には、それは見なかったことにして対応するのが礼儀と言う人もいる。ただ、事前に名前も判らなければ検索しようがない。会ってそこで名刺をもらい、帰られてからあとで調べて、孔丘先生に悟道を説いてしまったと赧顔することしばしばである。昔は知らずに済んだことではある。

 大学の教員にはいろいろと相談がくる。中に、必ずしも工学に通じていない一般の方がおられて、試問するわけにもいかないが、概ね、口吻や態度からそれとなく察せられる。化学は馴染み難い面もあってか、稀に熱と物質の区別が曖昧な方がおられる。例えば、ある固形燃料を加熱して、三割の重量と二割の熱量がガス側に移った場合、あわせて合計五割の何かが固形燃料から減ったのか、という類である。燃焼や熱化学については、勿論学校で習って頭には残っている筈なのだが、具体的に反応式を書き、熱量や反応量などの数値、割合をいれて計算していくと、途中で混乱されてしまうらしい。改めてラボアジェ頃までの状況が無理もないことと思う。教師の端くれとして、これは新鮮な発見である。人類が火を使いはじめて50万年、その科学的意味を知ったのは僅か200余年前、それまでは皆知らずに過ごしてきたわけである。

 時に、考案家の方からの、世間の常識とは違う結果が得られた、というものがある。忘れたような時期に似たような相談を受けることが何回かあったが、新技術、新発見の端緒になるかも知れないとして聞き入るものの、いつしかため息になってしまうことが多い。もとより、相応の識見をお持ちの方との前提で、善意の解釈と礼節をもって話を進めるが、遂にというべきか、化学、物理の基本原則を説明せざるを得ない状況に立ち至った時の気持ちには曰く言い難いものがある。

 例えば、「この器具を装着すると目に見えて燃費が良くなった、この理由を教えてほしい。この特殊な培養液を使うと植物の光合成速度が二倍になった、共同で研究提案したいので検討してほしい」というようなものである。単純な誤解、元々がよほど低性能の場合など理由は様ざまであるが、物質収支、エネルギー収支が不明で、肝心なところのデータがない場合は何ともコメントしがたい。これは、かなりの先生、また企業の技術者が経験しているようである。というより、大体それらの人に否定されるから、それでは他の先生、企業に、となって当方は何番目かということもある。

 専門の技術者は、この種の提案や相談は一覧一聴で判断がつく、というよりそれができて誤りが殆どない、ないしは少ないのが専門家である。ただ、それからどう行動するかは別問題であり、丁寧に説明する気にはならない、というものも残念ながらある。しかし折角のご来訪を無にすることもできないので一応技術的な説明をする。しかし、判りました、と言われることは少なく、「それでも実験結果は間違いなくそうなった」という思い込みがあり、水や電気やその他もろもろの不思議な作用の可能性を主張して、簡単には引き下がられない。「では、不足しているこのデータをメールで結構ですのでご連絡ください」で一応お引き取り願う。その後、二度と連絡があることはない、というのが典型的なケースである。ちなみに、勿論例外は多いだろうが、大学教員が新技術についてアドバイスして中小企業の方が何も言ってこられないのは、それは頓挫しており、企業技術者がトラブル対応にあたった客先からその後の報告がないのは、不具合が解消して順調というのが一般のようである。

 企業の実験・大学の実験 反応工学実験の作法(2022年8月刊、梓書院)

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