実験操作とデータ採取  「企業の実験・大学の実験」抜粋(その3)

実験の具体的作法

 さる著名な諧謔的法則集に、「テストの再現性が問題であれば、テストは1回限りにせよ」、「直線が要求される場合は、データは二点にせよ」、「うまくいった実験は繰り返すな」とはあるが(9)、そうもいかない。実験も思い切りのよすぎる 暴虎 ( ぼうこ ) 馮河 ( ひょうが ) は困るが、さりとて融通利かぬ慎重居士でも効率が悪い。経験を積めば塩梅も判ってくるが、それがいつの時代、どのような実験にも通用するとは限らない。実験とはことのほか難しく、奥が深いものである。ここで、皮相の感は否めず、また技術者にあるまじき散漫な感想も含まれるが、技巧的な面を含め、実験上の留意事項を列記してみよう。もとより化学実験の手法については、泰西十八世紀以来営々として築きあげられてきた膨大な知見やノウハウがある。ドイツ・ギーセン大学に世界最初の学生用の化学実験室をつくったのは、後年有機化学、植物栄養学の泰斗となる若き日のリービッヒであり、1824年のことである。先人の糟粕に過ぎないものもあろうが、 廬山 ( ろざん ) の峰々形容一つならず、老生の見るところ、また勧奨するところは以下のようである。

(中略)

化学屋の特徴を知る

 最近は新規な製品が、異種技術の組み合わせによって、或いは従来とは違う分野の研究者、技術者が主役になって開発されることが多いから、異分野の技術者との連携も必要である。特に企業であれば、業務上いろいろな分野の技術者と付き合いが生じる。経験から鑑みるに、技術者の考え方にも分野毎に特有の傾向があるように思われる。もとより厳格な話ではないが、ある技術分野の人は事前計算結果と実験結果が違うと、まずは実験結果を疑う、別の分野の技術者は数式にできない実験結果は信用性が薄いと考える、というふうである。対して化学技術者は、時に30%、40%の差は勿論、桁が違うデータを提示して異分野の人の驚きを誘うような場合があるものの、実験に重きを置くことには昔から変わりがない。ちなみに特に企業、それも様々な専門技術者がいる企業では、日常用語では化学屋、機械屋、電気屋であり、また総括して技術屋であり、化学技術者などと文章上では致し方なく表記するものの、他人事のようでどうも面はゆい。さらには年少者や、全くの部外者から、狭義の科学者をも含め、まとめて「科学者」と呼ばれることもある。同学諸君も経験があるかと思うが、これは概ね無邪気の敬意からであるから、悠揚の笑みで応えるべきであろう。

 また、一般人は勿論、他の工学分野の人は、特に化学については、高校で習っているはずの基礎的なことが判らなくとも特に不名誉とは思わない傾向にある。大学教員たる業務上のこともあり、高校の教科書は化学を中心にかなりの冊数持っているが、改めて見返すまでもなく、高校でもかなりのことを教えている。他分野の工学者は化学については高校卒業の時が知識のピークで、その後の落差が他の科目に比較して大きい。例えば、化学反応式は質量保存則、モルの概念、倍数比例則など、化学の基本法則の凝結した、視覚的にも理解しやすいものであるが、それは化学屋にとってであって、元素記号を見るだけで拒否反応を示す人も少なくはない。実際には、プロジェクトの主担当が、酸化還元と酸アルカリの区別もおぼつかない場合がある(案外にこういう例は少なくないし、また多くの場合、別に不都合でもない)。さらに言えば、科学者・技術屋でもない一般人にとっては、昨今、盛んに出てくる「CO2」は「ことば」や「用語」であって、我々化学屋が至る処で出会い、その脳裡に長年沁みついた、一個の炭素原子と二個の酸素原子の共有結合になる化合物では決してない。

 分野ごとの慣例、考え方の基礎が異なることも多い。卑近な例を挙げれば、機械工学では、理想気体の方程式、PV=mRTという時、mは気体の種類により異なる。化学屋は思わず 吃驚 ( きっきょう ) するが、機械工学は1?をベースにして全体が構成されているから、分子量をかければ気体の種類によらないことになって同じ意味である(記号もnではなくmである)。最近は牛の ? ( あい ) ( ) などに起因するメタンがCO2の25倍の温室効果を持つというのはよく聞く。基準が示されていないことも多い。これはCOの1分子とCH4の1分子での効果の比と、通常化学屋は考えるし、無理もない。きちんとした本にそう書いてあるのも何回か目にしたことがある。しかしこれは1?当たりであって、分子当たりにすると温暖化影響は約9倍となる。前出のCO2の300倍の影響を有するN2Oの分子量は、奇しくもCO2と殆ど同じ44.01g/molである。もっとも温暖化問題は世界的な話題であっても、よくあるkWとkWhの混同(こちらは本当は深刻であるが)と同様、関係者以外一般の人は誰もこういう処まで気にしない。

 以上、自らの特徴を知れば、異分野の技術者との円滑な協業に資するという、こと新しく云々するまでもない常識的話である。

企業の実験・大学の実験 反応工学実験の作法(2022年8月刊、梓書院)

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