8.世代間倫理とエネルギーの事、雑説・技術者の脱炭素社会

孫樹先生曰く、

 われ日頃、多くの学生諸子に接してあらば、彼らまた彼らの子供の行く末思ふ機会、図らずして多し。われらの時代、エネルギー、 就中 ( なかんずく ) 化石燃料を、経済成長とともに右肩上がりにて利用せり。現今CO2問題あり、化石燃料利用抑制の要請がなされ、また以前には化石燃料枯渇の怖れ云はれたり。いづれにもあれ、彼らの後半生、またその子供ら、少なくもわれらほどは化石燃料の自由の利用易からざるべし。すなはち、われらが世代、若きらまたその ( すえ ) が利益奪ひ、安逸貪りきたりきと云ふべけんや。われかつて学部学生諸君へ環境倫理を講じたることあり。これ15年余の以前にして、その大要次の如し。

  環境倫理学の具体的課題として例示さるは、人類は有限なる地球資源・環境の中で如何に生くべきや、これ第一なり。現在の世代は、将来の世代の人々の資源・環境に如何なる責任を有すべきや、これ第二なり。人類のみならずして鳥獣、草木を含めし生物の生存権認むべきや、これ第三なり。すなはちそれぞれ発展途上国・先進国、現世代・将来世代、人類・生物が関係なり。ここにエネルギーに係る第二の問ひかけにつき考へてみん。数億年数千万年かけし地球活動の賜物たる化石燃料、高々われらが数百年世代にて使ひ切りて可なりやとの問ひ、世代間倫理問題の具体の一例といふべし。

 すなはち化石燃料は特定の世代のものなりや、将来世代の得べかりし利益 簒奪 ( さんだつ ) に対するわれらが責任如何といふことなり。わが刑事法ならば現世代の化石燃料消費、占有離脱物横領罪といふところならんか。されど300年後化石燃料残さざりしとて、以て責に任ずる人なし。また民事も「私権の享有は出生によって」始まることなれば、未来世代の法益認められることなし。怒り ( とが ) めの指頭の先に、その人既になくんば如何せん。さらばこそこれ倫理問題となりて、顕著にあらはれしものなり。

 22世紀中に石炭の過半消費尽くさるあれば、産業革命以来わづか400年余にて化石燃料使ひ果たすに至れり。人類の歴史よりすれば、まさに 須臾 ( しゅゆ ) 、文明 開闢 ( かいびゃく ) 4000年に比すも 邯鄲 ( かんたん ) 一炊、波瀾栄華の夢とせずんばあらず。それも採取・利用の易き自噴の石油、天然ガス、更には石炭でも質良き瀝青炭、無煙炭から使ひ尽し、後の世代に至れば取り扱い不便かつ公害成分多く含める重質油、褐炭などのほか使用する能はざることとなるべし。

 敷衍 ( ふえん ) するに、化石燃料なる後の世代へ引継ぐべき地球の資本 ( ほしいまま ) に食ひつぶし、加へて地球温暖化、酸性雨での湖沼死など負の遺産にまた責あり。もとより伝える恵みも多かれど、事態充分に承知し、かつ地球資源は「祖先より貰ひしものにあらずして、将来の子供達より預かりしもの」なる殊勝の思ひは抱くも、結句石油鯨飲し、以て自らの欲望満たせし今の世代への、われらが子孫の評価如何といふことなり。

 この問ひかけが前提にあるは、これより先エネルギー(正確には一次エネルギーと呼ぶべし)につきての大いなる技術進展なかなかに難儀なるべしといふ予測、一時代前なれば悲観的ともさるべき予測ならん。直截にいはば高速増殖炉、核融合、明るき将来約束してくれてあれば、かつは科学技術大革新に対する信念、なほ ( すく ) やかなれば、化石燃料枯渇確かに深刻の問題と雖も、今日が如き際立ちたる倫理的問題の提供には至らざるべし。将来へ託するに、今なくして他日に期すもの以てなすも、また心苦しきあらん。当面に限らば、喫緊課題の温暖化対策としても併せ効ある太陽光・風力・バイオマス等の再生可能エネルギーの目処つき、それら化石燃料と相等しき価値ありとの認知あるまで、さほど遠くはなきわれらが後葉の生活、真摯に案じ ( わずら ) ふ人々の眠りは浅く辛きに相違なし。

孫樹先生補足するに曰く、

 これ一五年余の前の話にして、 ( けい ) ( ねん ) は、CO低減を主たる目的となして、太陽光発電、風力発電大いに盛んなり、また化石燃料の使用控ふべし、更に進みて止むべしとの輿論 澎湃 ( ほうはい ) たれば、結語に記せし人々の眠り、既に 晏如 ( あんじょ ) たるや否や、或いは別の新たなる胸騒ぎの体あるや、更には脱炭素首尾よく奏功するあれば、化石燃料多量に放置され、遠き世代の利用可能とはならんが、これその時その裔にして幸ひなるや否や、今思ふこと又多し。

 因みに説く、ここの主人公たる化石燃料と、例へば今議論多き再生可能エネルギーよりの電力とは、性格もとより異なれり。もし先の世に、石油枯渇進みて貴重高価とならば、或いは再生可能エネルギーよりの電力の格別の廉価となれば、エネルギー利得は負となりても、例へば風力発電の電力用ゐる石油掘削・輸送となることもあらん。 ( しか ) して、この得られたる石油、再び同じき電力へ変ずるは意味なき無論にて、化学製品原料、或いは液体燃料として用ゐるに、なほその意義あり。けだしこれ先々にあり得べき一つの象徴的光景と思へど、掘削・輸送に利用するは、風力ならずして核力なるや、バイオマスなるや、また別のエネルギーなるや、推する能はず、いはんやその何時なるをや、と。

 子孫。あとつぎ。 

須臾 ほんの短い時間。 

邯鄲一炊の夢 人生の栄華も黍を炊く短い時間のように儚いこと。中国唐時代の伝奇から。

敷衍 趣旨を更に広げて説明すること。 

晏如  安らかで落ち着いているさま。

「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」より

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(長崎総合科学大学 バイオマス研究室,特命教授 村上信明)