第3講 CO2低減と化石燃料涸渇対策(CO2貯留技術など)

 最近は、石油の何トンの節約というより、CO2(それも当時の、工学屋にはいろいろと考えやすい炭素換算値でなく)何トンの削減という表現が一般的になってきましたが、「CO2による人為的温暖化の脅威」が、「化石燃料枯渇の怖れ」を上回ってより深刻に議論されるようになるのは、本著(2008年)の数年前からのことです。また当時は、低炭素社会(正確に「低CO2社会」と称すべきと思いますが)という言葉は一般的ではなく、太陽光発電など再生可能エネルギーは、原子力代替ではなく、将来の化石燃料枯渇に対応する為に開発がなされていた時代、さらには今日のように電力に特化されず、エネルギー全般の議論がなされていた時代であり、CO2対策として現在取り組まれている多くのテーマの原型が固まってきたのもこの時代かと思います。これらのうち、CO2の回収・貯留については、CCSと呼称され、最近ではかなり大規模な実証試験も行われていることは周知の通りです。(2020年6月)

 いうまでもなく、当時強調されていたように「化石燃料枯渇」と「地球温暖化抑制」とは対策の方向性が同じで、CCSなどを除けば、大半の関連の技術開発は程度の差はあれ、この双方に寄与するものです。ある書に「善く射る者は雁影を重ならしめて而して射、善く謀るものは機会を復ならしめて謀る。一箭二雁を得ずと雖も一雁を失はず、一計双功を収めずと雖も一功を得るあり」とあります

(「昨日今日いつかくる明日―読み切り「エネルギー・環境」―」(2008年刊)より抜粋)

CO2の低減策 

 化石燃料の燃焼によって生成するCO2は途方もなく膨大な量になる。従って、出来れば回収して有効に利用したいという希望は、CO2が地球温暖化の主因とされその抑制が大きな課題になる以前よりあった。例えば、天然ガスを燃料として用いる発電所の排ガス中のCO2を回収し、クロレラやスピルリナなどの微細藻栄養食品の養殖促進に利用したり、あるいは高分子樹脂の原料とするための研究等が実施された。CO2を大気中に無駄に出してしまっては「もったいない」という、切迫化した温暖化問題で悩む今から思えば、なんとも余裕のある発想の時代もあったのである。

 さて、現在世界で化石燃料の燃焼によって放出される二酸化炭素(CO2)は年間約50億トン(炭素換算)であり、人類の文明の進歩のバロメータであるエネルギー消費量と直接的に結びついている。石炭・石油・天然ガスは炭素と水素を主成分としており、それらを燃やすことによって我々は熱・電気などを得ることができるが、その結果として一般には利用価値がなく、かつ地球温暖化の原因となるCO2を生成する。特に埋蔵量が多く、石油・天然ガスが欠乏するとみられる50〜100年後も電力、あるいは液体燃料などのエネルギー源として相当量を頼らざるを得ない石炭は、石油・天然ガスに比べ発熱量当たりの含有炭素量が多く、従ってCO2の発生量も多い。

 CO2の大気への放出量削減のためには、エネルギー消費量を抑えること、すなわち我々の節約が最も効果的で基本的な対策であるが、技術的手法としては、大別すれば、第一に化石燃料の最終利用までのエネルギーの変換効率を高めること、第二に化石燃料以外の自然(再生可能)エネルギー,或いは原子力を利用すること、最後に生成したCO2を回収処分ないし利用すること、に分類できる。最初の二項目については、現在のエネルギー・環境対策の最重要課題であり、本講義全体のメインストリートのテーマでもあるから、次講以下に譲り、ここでは最後のCO2の回収利用など、CO2そのものを扱う方法について解説しよう。

CO2対策と化石燃料枯渇対策の優先順位   

 昨今、エネルギー・環境問題は、政治課題の一焦点となり、色々な思惑もあって状況は大きく揺れるようになった。時の勢いで現在は温暖化対策に比重が極めて大きく、石油などの資源枯渇の問題は下火になっているが、勿論解決されたわけでも、その重要度が低下したわけでもない。CO2濃度をいきなり数倍にあげるほど潤沢に化石燃料がある筈もないから、遠くない将来、主副は逆転して後者の方が課題として卓越するに決まっている、と考える人がいても不思議ではない。 

 ここで、CO2による地球温暖化と、先の講義の化石燃料の枯渇、この二つの対策の優先順位を考えてみよう。両者は一般的な見解では直截に結びついている。そして幸いなことに対策の方向は同じである。即ち、化石燃料の使用量を減らしてその延命をはかることが、CO2による地球温暖化を抑制することにつながる。もし、逆に地球が寒冷期に向かっていて、例えば作物の収量を維持するために、温暖化が望ましく、その方法として化石燃料を早急に消費して大気中のCO2濃度をあげることが必要であれば、対策としては化石燃料の枯渇抑止とは逆になり、それこそ世界の一大事である。これは単なるこじつけではない。三十年前には、地球は寒冷化へ向かっているとされていたのであり、また前述の宮沢賢治の「グスコーブドリ」も、凶作を避けるためにCO2濃度をあげ、気温を上昇させる対策を題材にしている。もっとも、グスコーブドリでは、化石燃料の燃焼ではなく火山の爆発によるCO2の増大であって、この場合、実際には噴火物中の微粒子の太陽光線遮蔽効果により気温は下がる効果もあるのであるが。

 周知のとおり、一時期は、極論すれば、化石燃料は数百年供給可能であり、温暖化と環境問題こそが喫緊の課題という論者と、全く逆に温暖化は幻影・暴論であり、化石燃料の枯渇・奪い合いこそ地球滅亡の因、という人がいて、どちらもそれなりのデータを並べレトリックを弄して、殺伐とした風景のインターネット合戦等を繰り広げていたのである。

 さてこの二つの極論は具体的な対応策としては何か異なるだろうか? 例えば太陽光、風力などの再生可能エネルギーの利用拡大、省エネルギーの推進、発電プラントの高効率化などは、双方の問題の緩和に資するから、程度の差こそあれ両者に異論はないはずである。複雑な状況にある原子力を除けば、評価に差がでる第一は、CO2の生成量に歴然とした差のある石炭と、石油、天然ガスとの対比であり、温暖化の脅威を重視しなければ、石炭は中期的にもより柔軟に使用できるだろう。第二に、燃焼排ガスからCO2を回収して有効利用したり、あるいは地中や海洋に貯留したりする技術は、余分なエネルギーを必ず必要とするから、CO2による温暖化を疑う人には全く無用の対策になってしまうことになる。

CO2量の膨大さ  

 温暖化の原因とされる大気中380ppm(0.037%)の低濃度のCOを、例えば目前の空気中から何らかの方法で、直接回収することが経済的に困難であろうことは誰にでも判る。しかし、発電設備や製鉄所、或いは自動車から排出されるCO2はどうか。ガソリンや石炭を燃やしてCO2が出てくるのは致し方ないが、その場で回収なり分解して大気中に出ないようにすればいいではないか、他の公害防止技術、例えば窒素酸化物や硫黄酸化物に対する発電所の排煙脱硫・脱硝技術と同様に何故処理できないのか、とは誰しも思うことである。 

工業的に扱う場合のCO2処理の難しさは、その膨大さにある。例えば、ほぼ100万都市の需要に相当する100万kWの火力発電所を一年間運転するには石炭では約200万トンが必要であるが、CO2の排出量としてはその約3倍の600万トン近くになる。そのCO2ガスは野球用のドームを4時間で一杯にする。加圧して液体のCO2、或いは冷やして固体のドライアイスにしても、ドームは100日で満たされてしまう。これが日本だけで100個分以上ある訳であるから、排出量を減じるにせよ、排出したものを回収するにせよ、さらにそれを利用・処分するにせよ、困難性の高さが理解されよう。排煙脱硫、排煙脱硝装置は以前よりあるが、燃焼排ガス中のppm濃度のNOx、SOxと、10%も含まれるCO2とでは話が違うのである。


CO2処理利用技術の百花繚乱 ?? 

 少し時代を遡ると、冒頭に述べた(大気中に排出されてもったいない)CO2の有効利用に重点があった短い期間のあと、温暖化の原因としてのCO2に対して、排出抑制の要請が急速に高まり、一斉に対応技術の提案がなされたのは1990年代初めである。日本の高度成長期でもあり、まだ意気軒高な多くの技術者が、新しい研究分野として注目したのである。

 これは米国発信だったが、例えば、石炭から水素のみを取り出すアイデアが提案された。石炭の有機分は複雑な芳香族炭化水素で、元素としては炭素だけでなく水素も一部含んでいる。そこで、発電所などで使う前の処理として、水素が多い部分だけを分離して利用し、残りの大半の炭素分は地中に埋め戻し、何十年あるいは何百年後の温暖化が収まった時に再び掘り出して利用しようというものである。折角掘り出した石炭のエネルギーの七割以上は、一旦地中に戻すことになる。確かに大気中への排出CO2は少なくはなるが、従来の常識からいえば誠に大胆な案であり、一瞬気息を失うものであった。さらにはCO2等による温室効果を相殺するため、人工的に成層圏に大量の硫酸を散布し太陽からの入射エネルギーを遮るとなると、人類を含む生態系に対する副作用が激越に過ぎて無理と誰しも思うだろうが、規模からすると、CO2対策はこのようなレベルにならざるを得ないともいえる。

 また、回収したCO2の有効利用についても数多い提案があった。例えば、CO2をプラズマ状態で分解して一酸化炭素(CO)ガスに変換し、燃料として利用するようなものである。燃焼して化学エネルギーを放出しきった形態であるCO2を高分子材料などの「モノ」として利用するのでなく、これをエネルギーとして再利用できる形にするには、当然ながら外から別のエネルギーを加える必要がある。エネルギー保存則からの要請である。一般にプラズマを作るには多大のエネルギーを要し、それに比し得られるCOのエネルギーは小さいから、この提案の実用化は一般には困難である。

 現在は淘汰されて、CO2利用の手法は限定されてきたが、当時は趣向を凝らした謳い文句とともに、経済的メリットなど問題以前の単純な物質収支、エネルギー収支すら無視してはばからない研究提案が現実に多々あったことを思い出す人も多いだろう。

 ただ、エネルギー的にロスがあるからといって全てが無意味かというとそうでもないから複雑である。全体システムとして利点や効用があれば、それはそれで有用である。例えばCO2をエネルギー輸送の媒体とする方法、具体的には水素をなんらかの方法で得て、燃焼排ガス中から回収したCO2と反応させ、輸送しやすい液体であるメタノール等の形にして自動車などの燃料として利用する方法は、現在も重要な検討対象である。CO2はエネルギーとしては利用できないが、物質としての炭素(C)を利用するわけで、全体として他の方法に対して優位性があればそれでいいのである。勿論、この場合、エネルギーの元からすると「COからメタノール」ではなく、「水素からメタノール」と呼ぶべきである。

燃焼排ガスからのCO2回収  

 さてCO2を回収するには、燃やす前にガス化して出来たガス中の濃厚な状態のCO2を分離したり、ある種の燃料電池を用いるとCO2と水だけが燃料極側にでてきて分離が容易になることを利用したり、いろいろの方法が考えられるが、もっとも一般的な方法は燃焼排ガス中からCO2のみを選択的に分離することである。

 石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料を空気で燃焼させると、その排ガス中には体積にして5〜15%のCO2と窒素、水蒸気、酸素が含まれる。このうち、CO2だけを煙突から大気中へ放出・拡散させる前に分離し回収する方法を「排煙脱炭法」とよぶ。石炭や重質油など、硫黄と灰を含む燃料を用いる場合には、窒素酸化物、硫黄酸化物、煤塵が生じるから、排煙脱硝、排煙脱硫と集塵機の三点セットが排ガス浄化のために用いられるが、これに脱炭装置が加わるわけである。排煙脱炭法には、ゼオライトなどの吸着剤を用いる吸着法、アミンなどのアルカリ性水溶液を用いる化学吸収法などがあり、最近では実証プラントも稼動するようになってきた。これらの方法は自動車などの移動発生源や小型の燃焼器への適用は困難であり、また主対象となる大型の火力発電所排ガスの場合には発電効率の低下、装置費増大などの課題があるが、大気への排出CO2量を直接的に削減できる手法として検討がなされている。


http://www.mech.nias.ac.jp/biomass/slide26%20(1).JPG

 排煙脱炭法は既に尿素製造プラントで実用化されてはいる。ただしこれは、CO2の回収量として1日に数百トンと、発電プラントからの排出量の数十分の一以下であり、またCO2は製品である尿素の成分の一部として有効に利用することが可能である。それに対し、発電所などからのCO2回収には相当量のエネルギーを消費し、かつ簡単に適当な利用先を想定できるような量ではない。

 このようにして回収したCO2の有効利用法としては、生物を用いる方法と、化学的な方法に大別できる。生物的な方法は、例えば、微細藻の成長に、回収した高濃度のCO2を利用し、これからクロレラなどの栄養食品やエタノールなどの液体燃料を得るものであり、化学的な方法は、電気化学、光化学などの反応を利用して、CO2を水素などで還元し、メタン、アルコールなどの燃料や化学薬品に合成・転換するものである。しかし、化学製品の需要と燃料の使用量はほぼ一桁違うから、化学原料として利用する方法では量的に期待できない。やはり対象は燃料である。ただ、メタノールなどの燃料として、つまりCO2をエネルギー輸送媒体として利用するための第一義の課題は、先述のようにその追加すべきエネルギーをいかに確保するかである。場合によっては、というよりそちらの方が正攻法であるが、無理にCO2を利用せず、追加のエネルギーをそのままの形で使えばいいケースも多い。

 一方、CO2のまま処理する方法としては、廃油田、廃坑ないしガス田に注入貯留したり、地下の帯水層あるいは海洋中へ隔離する方法が検討されている。対象となるCO2の膨大さを考えると、そのような空間として地中と海水中以外には想定が困難なのである。生産性の低下した油田にCO2を圧入して、原油の生産量を回復させる方式(EOR)は国際石油資本が北米の数十箇所で現実に実施している。もっとも現在は排ガス中から回収したCO2ではなく天然に産出するCO2が使用されている。

CO2の海洋隔離と評価  

 ここではCO2に関する多くの技術開発のうち、一般の人々も具体的にイメージを結びやすいものの一つであろう海洋隔離について述べよう。このような「CO2の封じ込め」は、CO2そのものを直接対象とした数少ない対策技術の一つであり、他の再生可能エネルギーや高効率・省エネルギー技術開発と違って化石燃料枯渇対策などの効果はなく、また海洋環境など他の地球規模の環境問題への波及も大きい等、多くの意味で象徴的な存在でもある。地球温暖化の原因は「大気中にあるCO2」であるから、大気とは別の所に隔離するというもので、従来、一般には保険或いは貯金的役割として認識されていたようであるが、最近になって関連の条約(海底地層中への貯留)が採択されるなど具体化の動きもでてきている。

 図3.1にそのイメージを示した。この方法は海洋中、それも海流の動きの少ない1000メートルより深い海中に回収したCO2を送り込んで大気から隔離しようとするものである。海水中へのCO2固定については、1980年代よりすでに提案がある。現在も大気中に放出された燃焼排ガス中のCO2は半分は海水中に吸収されており、CO2は海水中と大気中で交換されている。海水中に貯留されたCO2は結局は大気中へでてくるが、深層海水と表層海水の海水交換は遅く、そのため、深層海水中にCO2を拡散させる、ないし固形の形で貯留すれば、数百年の間は、大気中へ出てくることなく、温暖化対策と成り得る。いわば、大気圏をバイパスして温暖化の危惧のある期間、深層海水中に留め置くのである。

図3.1 CO2の海洋隔離法
集中発生源からのCO2を回収・液化し、地中や、船で海上輸送して1000m以深の海洋に隔離する方法が検討されている。

 具体的には、CO2を液化したのち船で海上輸送して、洋上基地から3000メートルよりも深い海へ送り込み深海に貯留する方式、船で長いパイプを曳航し、その先から迅速に水深1000メートルほどの中層流へ拡散させる方式などが基礎実験段階である。前者は海洋への影響範囲を極力限定する方法、後者は逆にできるだけ速やかに拡散させる方式である。液体のCO2は常温・常圧では海水よりも軽いが、圧縮性が強いため圧力が高くなると密度が大きくなって、水深3000m以下では海水中を自然に沈降していく。又CO2と水は深海のような高圧低温の条件ではメタンハイドレートと同様に、クラスレート(包摂化合物)と呼ばれる、シャーベット状の水和物をつくるなど、物性的にも特異な挙動を示すからその評価も必要である。

 これらの方法は、いずれの場合も海洋生態系への影響評価が課題となっている。深海には光が届かないから光合成植物は生存できないが、硫黄などを用いて化学合成を行う細菌が、陸上における緑色生物に相当する生産者の役割をもち、これらがつくる有機物を栄養源とした生物群が存在する。また、かれらとしては何億年もかけて立派に適合している姿なのだが、我々人間の勝手な主観からすると奇怪な姿態の魚などもいる。いうまでもなく、海は我々生命の故郷であり、本技術の実施に当たっては、事前の評価の重要性はいうまでもない。

 CO2の回収・深海隔離は、エネルギーの多消費と生態系への配慮から、「やってはいけない研究」とするいささか激しい評言を目にした記憶がある。確かに燃焼排ガスからのCO2の回収はその量の膨大さを考えると、容易ではない。回収に要する設備費用、消費される電力、環境への二次的影響などを考えれば、研究はともかく実際には実行しないで済めばそれに越したことはない。他の再生可能エネルギー開発や、省エネルギー技術開発とは意味が異なる。ただいかに目覚しいCO2対策技術が開発されても、それが順調に全地球規模に拡大・実現するには時間を要し、温暖化の重篤な脅威がその前に訪れることになる可能性は今や否定できない状況になりつつある。諸般の比較考量は困難な議論となることであろう。

 マイケル・ファラディーは1861年、英国王立科学院の金曜講座として今も著名な講演会のもとになる科学者への講演で次のように述べている。「もし炭素というものが、いつかお目にかけた鉛または鉄のように、燃えたあとに固体の物質を生じるものだったら、どんなことが起こるでありましょうか。燃焼は進行する事ができないでありましょう。炭素が燃えるときには、それは気体となって、大気中に溶け込んでまいります。大気はそのものを、よそへ運ぶ偉大なる乗り物、偉大なる運搬者であります」(1)

 CO2は常温常圧では固体でも液体でもなく気体状であるが故に、人類は化石燃料の燃焼によって円滑にエネルギーを獲得・利用できるのである。石炭や石油の燃焼によって熱は発生してもCO2が固体として残るとすれば人住む世界は、その固形燃焼廃棄物で埋まってしまっていただろう。そしてまた、燃焼技術を工業的に利用するには煙突からガス状のCO2を河川や海水中でなく大気中に放出するのが、最も簡便で損失が少なかったのである。即ち、現在のCO2問題も、CO2がもっている物理化学的性質と、人類が選択した工業操作の歴史、その双方の上に立っているのである。ファラディーは続けて、CO2の動物、植物との親密な関わりについて述べたあと、「このようにして私たちは、ただ仲間の生物だけでなく、すべて生きとし生けるもの同士の頼りあいをつくっているのです。すべて造化は一つの部分が他の部分の善として貢献するという法則によって結びつけられているのであります」と締めくくっているが、CO2は気体となって大量に大気中へ排出拡散した結果、人類にとって今や「善」ではなくなってしまった。ロンドンの貧しい鍛冶屋の次男として生まれ、長じても高等教育を受けなかったに拘らず、鋭敏な実験者として電磁誘導の発見を始め、科学の発展に間違いなく第一等級の貢献をしたファラディーは、現在のこのような事態は想像だにしていなかったに相違ない。

マイケル・ファラディー(英、17911867

22才で王立研究所の助手となって以来、生涯にわたって同研究所でさまざまな研究に従事し、ベンゼンの単離、電磁誘導の発見のほか、ガラスや合金の組成・性質、ボルタ電池、溶液の電気分解など、物理化学、物理学の分野に多彩な業績を残した

(1)ファラディー「ろうそくの科学」三石巌訳、164頁、角川文庫(1962)