22一次エネルギーとしての天然水素 

「雑説 技術者の脱炭素社会」の自解(番外) (2024年3月追加) 

 近年天然水素、すなわち地中に埋蔵されている水素ガスが注目されている。ある報告によると、従来、天然水素は希少な存在と思われていたが、1987年、アフリカのマリ共和国で水井戸掘削のときに高純度(90%以上)の水素が発見された。以降、世界のいろいろな場所で探査がなされ、特に近年は脱炭素の気運の高まりもあって、少なくはない探査・開発のプログラムが進行中とのことである。研究論文としては2019年ごろから増加しており、天然水素の生成プロセスとしていくつかのルートが推定されている。地下の高温部で、水と橄欖石が反応し、水素と蛇紋岩、水酸化マグネシウム、磁鉄鉱とに変化するとするものが代表的なものである。橄欖石中の鉄の存在がキーとのことである。肝心の年間生成量については、世界で推算数万から数千万トン/年とする報告もあるが、これは過少評価で、本当はさらに多い可能性があるとしている(最近の別のニュースでは、埋蔵量としては5兆トンあり人類が数万年にわたって利用できる可能性があるとする)。現状では未確定の部分、また課題もあるが、学術的な研究段階から経済性も含めた探査の段階への移行中である。

 このように最近話題の天然水素であるが、新規、或いは思いがけない一次エネルギーについてのトピックスとしては1989年の常温核融合以来のことであろう。常温核融合の場合は関連の物理、化学の研究者が主役であったが、今回は欧米を中心とした政府機関・大学、スタートアップ企業がしのぎを削っているようである。

 さて、拙著で繰り返し述べたように、水素は現在では化石燃料から、或いは水の電気分解によって得られる2次エネルギーである。即ちもともとエネルギーを有する化石燃料の形をかえるか、エネルギーを持たない水に他から何らかのエネルギー(多くは電力)を加えてできるものである。それにも拘わらず、この2次エネルギーである「水素」の名を冠して将来は「水素社会」、「水素時代」と喧伝される。期待通り、水の電気分解から得られる水素が、将来のエネルギー利用また多くの有機物製造のための基幹物質となったあかつきには、やはりその時代の主たる一次エネルギーの名をもって「再生可能エネルギー社会」、あるいは「原子力社会」と呼称するのが相当かと思われる。そうすることが、今、世に議論の多くなっている現実的な課題も含め、再生可能エネルギー、また原子力の将来の選択肢としての評価に寄与するはずである。即ち、1次エネルギー、すなわち水素をつくる元のエネルギーが議論の中央にあるべきであろう。

 そういう意味では、この天然水素の採掘が大きな産業となり、低廉・大量の水素が今の石炭・石油・天然ガスに変わって世界にひろく用いられるようになったとき、その時にこそ「水素社会」、「水素時代」と気兼ねなく呼ばれることになろう。呼称はともかく、本当にこの天然水素が何千年といわずとも数十年、数百年にわたって人類のエネルギー源、物質製造のための素材として利用可能になるとすれば、大変好ましいことであるが、はたして今後いかに進展するであろうか? ただし、当面の脱炭素のため、また将来世代のために、期待はしてもその大規模利用を前提とすべき状況でないことは当然である。

 最後に、本著では、「水素」は一貫して、2次エネルギーとして扱っている。また学会をはじめ関連の業界、技術者には一般にそうとらえられてきたし、実際上もその通りである。ただ執筆当時この天然水素の状況を承知・予測していたなら、全体の方向性・趣旨は変わらないにしても、関連するところの文章の表現は変えていただろう。短く判り易い事例・比喩がかえって裏目に出た恐れも捨てきれず、次の先輩の言を思い起こし、省みて暫くおおいに悩んだところである。曰く「斯界の動き疾くして複雑、定見記すること頗る難なり、われ一介の律儀の技術者、あに疎漏の論、曖昧の言残して方寸安く余生送り滅せんや」と。

*JOGMETEC(エネルギー・鉱物資源機構)2023年8月の報告

https://oilgas-info.jogmec.go.jp/info_reports/1009585/1009871.html