11.薪炭より石炭へ、産業革命の事 雑説・技術者の脱炭素社会(11/15 )

ある人の云ふ、

 今、早きに化石燃料より再生可能エネルギーへとの気運、日 ( ) ひて高し。しからば、その逆の再生可能エネルギーより化石燃料への転換、すなはち英国産業革命期の成行きやいかん。状況今と異なるもとより格別なるも、その転換には、少なきはなき紆曲、短くはなき時間を要せり。こと古めかしけれど、われをして、ここに聊かの言もちて概観せしめよ。

 人類、初めて火用ゐし50万年前より、エネルギー供給は永らく森林よりの薪炭に頼りしが、それ石炭に取りて替られ始めたるは、泰西十六世紀とす。今日の用語によらば、再生可能のバイオマスより、再生不能の化石燃料への転換なりき。石炭また石油、紀元前より存在知られしも、その利用法、有用性思ひ至るに、相応の技術伴ふ要あり。風また太陽の光、太古より感得さるも、それ電気への変換なして、本格的の利用始めたるは、高々数十年前に過ぎざるに同じ。

 薪炭より石炭への変更、好みて為されしにあらず。石炭は硫黄含み、燃やせば二酸化硫黄の臭気強く、また着火易からざれど、ひとたび着火すれば火力強くして調節に難あり。されば、当初は貧しき家庭の燃料など一部にて使用さるに過ぎざりき。森林少なく、濫伐による木材価格の高騰に追ひ詰められたる英国、ためにそれまで嫌悪されてありし石炭利用に最も早く到り、因つて他国に半世紀先んじての産業革命を生みたり。

 これ「石炭革命」と称さることもあり。 ( しか ) して、石炭と並びて産業革命の展開に大きく寄与せしもの、すなはち鉄なり。鉄つくるに、鉄鉱石と別に還元剤を要す。その木炭より石炭乾留コークスへの変更には、17世紀初頭の石炭・木炭の混用試験に始まり、18世紀中葉までの100有余年を要せり。英国の製鉄業者、慣れたる木炭に依りたきありて、転換になほ和せざりしこと理由に挙げらる。一方に、当時の工業用燃料たる薪、製鉄用木炭双方の急激なる需要増大による森林崩壊の進行あり、結句、鉄の輸出禁止さるに及び、石炭コークスの利用拒むの余地なきに到れり。ダービー二世、新たなる改良加へ、コークス還元剤の製鉄に成功せるは1735年、石炭利用量はその後20年ほどがうちに急速増大するを見、更には、蒸気機関など石炭、鉄の利用先拡大・進展して、産業革命へと導かれ行きたり。

 すなはち産業革命は、それまでの森林、風力、水力、また畜力等自然力のみ利用の生活より、再生不能なる化石燃料依存の経済社会への一大転換、本質的変更でもありき。アシュトン「産業革命」(6)に曰く、英国救はれしは、その支配者によるにあらずして、新しき生産用具、新しき工業経営方法、これら発明に不足なき機知また資金有し、自らの当面の目的努めて追ひし人々によること、疑ひあるべからず、と。

 述上のこと、主に英国の様なり。米国は森林豊富なりしこともありて、転換遅れ、石炭の薪炭を逆転したるは1910年頃、わが国では1901年(明治34年)とさる。而して、産業革命前夜よりすれば300余年後なる今、石炭すら使へず、伝統的バイオマス、すなはち薪、木炭、畜糞に依拠せる人々世界になほ多く、20億人以上におよぶと云ふ。グローバル社会とは称されど、エネルギーに限らずして、新しき技術またシステムが恩恵、世界へ拡がるは容易ならざること、かくの如し。この20億の人々、石炭利用の機会なくして、忽然、太陽光発電、電気自動車、水素の世界に赴くや、然らずして、遅れて石炭使ひ、石油利用する時代へて、その世界へ入るや、それとも、彼らそのままにありて、われらの日頃目にするメディア通じ接する国々のみの低炭素、脱炭素社会となるや、われ学 ( うす ) くして量るに至らず。

 ある書に云ふ、「石炭革命起こりて、英国、木の時代より離脱し、鉄の時代へ入れり。レール、橋、梁、機械、船など、木製より鉄製へ替はり、かくして文明を支へ、建設資材また燃料として特権的の地位占めきたりし木は、鉄と石炭の台頭にその位置失ひて、価値少なき只の材木となりたり。然ると雖もこの革命を可能とせしもの、実にこの木なりしこと忘るべからず。石炭の採鉱可能とせしは木製の支柱なりき、石炭を製鉄工場まで輸送する軌条は木製なりき、而してその軌条の上走る荷車、運河を走る船もまた木製なりき」(2)と。                   

 現在に引き直さば、将来、化石燃料退きて、再生可能エネルギー或いは核エネルギー主体の時代きたるも、それ可能とするは、ほかならぬ化石燃料といふことなるべし。かつて今の化石燃料に同じき特権的の地位にありし材木、今に至るも貴重のものとして ( あまね ) く受入れられ、利用されたり。かれを以てこれを思ふ、人類に多大の恩沢与へし化石燃料、今 ( ただ ) ならざる 貶斥 ( へんせき ) 受けし感もつは、 ( あに ) われのみならんや、例するに今より太陽光発電、電気自動車に多く依るとして、その原料の採掘精製より製造廃棄に至るまで、石油用ゐるなくして能ふ時、いつ来たるや。化石燃料、 ( いやしく ) も用捨安易に決し、 弊履 ( へいり ) ( さなが ) ら棄つべきものならず、また能はず、この先も心砕きて相応なる対処、宜しくなすべきものならんや、と。

孫樹先生曰く、

 ここでの主役たる、バイオマスと石炭には相似たる性質あり。すなはち酸素の含有量に差はあれど、いづれも炭素、水素主要成分とする有機物の固体にして、相当分の窒素や硫黄、また灰を含む。そのまま燃料となり得、加工して建築材、化成品などモノの原料ともなり得。これ云ふまでもなく、石炭の元は森林にして、双者数千年、数億年を隔つ直系血族なればなり。

 人類の主たるエネルギー源、バイオマス、石炭、石油と順次進みきたりき。将来はこれ遡りて進まん、すなはち、石油枯渇しくれば、その先は埋蔵量豊富なる石炭が、そして最後には、再生可能のバイオマス主体にならんとの論、以前にはあり。われその過渡的なる時期にては、炭素中立、再生可能のバイオマスと、CO2多排出なれど、偏在なくして埋蔵量豊富の石炭、この双方如何にバランスよく使ひ ( こな ) すか、化成品原料としての利用含め、叡智傾くべきところならんとの思ひ、今もなきにあらず。ともあれことの ( よう ) 漸次に ( あらわ ) れはすれど、永き先に到る話なれば、決着みる時、われ 彼此 ( ひし ) いづれの岸にあるや知れず、と。

ダービー二世(英、1711−1763) 産業革命期、三代にわたる製鉄技術者の二代目。一世のコークスを用いた製鉄法を引き継ぎ、蒸気機関を採用するなどの改良を加えて、その普及に大きく貢献した。

「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」より

*アマゾン https://onl.bz/pDuFDYn


   ホームページトップへ

(長崎総合科学大学 バイオマス研究室,特命教授 村上信明)