12.覧古考新の事,雑説・技術者の脱炭素社会(12/15

孫樹先生曰く、

 典型なる文明史家、技術史家の見解もとより益多ければ、時に書を読み覧古して以て今を知り、来たるべき世を測るべし。ここに引く三著、いづれも著名なる史家の述にして、斯界の変遷探るに便宜与へ、世に広く迎へられたるものなるが如し(いづれも邦訳あり、ここには文体変じて示す)。 

 1960年代中期、英国にて公刊されしある書に云ふ、

 「人類の今日に至れる進歩、これ大きく条件づけるは、制御し得るエネルギーが量なり。太古の日、制御できるは人間自身の筋肉のみにてありしかど、それより畜力、風力および水力、石炭、石油と漸次進めり。(中略)。 ( しか ) して今や、核エネルギー利用可能となり、その第一の段階たる核分裂、第二の段階たる核融合技術考へれば、人類のエネルギー資源、今後は事実上無限ともいふべし。豊富なるエネルギー、これすなはち他の全ゆるものの豊富を意味す。もし不足なる何かあらば、エネルギー用ゐそれ製す、或いはその代用物つくること可能なればなり」(3)

 またこれより3年後、蘭国技術者、米国刊の書にて云ふ、

 「利用可能なる化石燃料の量に限度あること、これ疑ひなし。されど、エネルギー資源問題の根本的なる解決策、既に見通しつきてあり。すなはち原子力の解放、これなり。ベクレル1896年、ウラン塩の放射能発見によりてその道を拓き、第二次世界大戦の原子力爆弾なる恐るべき技術によりて実証され、而して今、世界に百超える平和利用原子炉として実現さるをみたり。(中略)。核エネルギー本格化の時、石炭・石油の主たる用途、化学製品、薬剤の原料となるべし。ある石油技術者常に云へり、石油を燃やす、何たる愚行なるやと、多少の知恵働かさば石油に多くの用途あり、既に新しき石油工業世に行はれてあり」(4)

孫樹先生、評注して曰く、

 二著のここに引くところ、1960年代の楽観的なる一面を示せり。名高きローマクラブの「成長の限界」は待つこと10年に足らざる1972年なれば、けだしこの分野の幸福なる一季とも云ふべけんや。 ( あたか ) も時、科学技術 沖天 ( ちゅうてん ) の勢ひなほ残りてあり。すなはち、核力平和利用に最大限の期待ありて、近き将来、電力は原子力にて賄はれ、貴重有限なる石油、石炭は工業用原料として末永く利用さる。而して核融合の本格的なる実用化成れば、人類、末代 ( とこ ) しなへにエネルギー問題より自由とはならん。豊富なるエネルギー、これ直ちに移して以て他の全ゆるものの豊富を意味す。 ( しか ) り、もとより現実的には制約の多々あれど、エネルギーさへあらば、電力云ふに及ばず、ガソリン、灯油類似の燃料、化学製品など製するも可なり。具体例を挙げんか、高温での直接分解、或いは電力を経由して水から水素作り、炭素源としてエネルギー無価値のCO2など持ちきたりて、現今の石油など化石燃料よりの製品、或いは類似品を得るが如きなり。その効率また収率低きことあるも、核融合エネルギー実質上無限なれば支障あらず。較ぶるに、当今の太陽光、風力などの再生可能エネルギー、また実質上無限といふべきも、利用に適せるは限られ、何よりそれ希薄なる無限なれば、同一に論ずる能はず。

 然るに今、原子力の軽水炉、高速増殖炉、また核融合炉、周知の ( さま ) なり。この事態に責任無きに非ざるわれら世代の立場微妙となすべきも、末葉の世代ここにあらば、 ( こつ ) として梯子はずされし感ありてしかるべし。果たしてこの二著より越えて30年ののち、別の史家、それら殆ど念頭になきが如くなり。

 1990年代英国にて ( ) に附されし 浩瀚 ( こうかん ) の書あり、人類の 貪婪 ( どんらん ) 飽くなき森林乱伐、それ一因とするメソポタニア、インダス、ギリシャ、ローマ、マヤなどの文明崩壊、15世紀以降の西欧列強による植民地支配・先住民文化の破壊、また野生動物の殺戮・生態系蹂躙、更には産業革命期より現代にいたる農地拡大とそのための森林伐採・自然破壊など、事例を重ね辞を連ねての記述、戒めを既往にとる、これこの人類の性にして能ふべきやの感なきにあらず。而して或る一節にそれら総括し、憂世の語を以て結びて云ふ、

 「過去一万年間の人類歴史、エネルギー消費の在り方観ずるに、狩猟採集集団の些少なる消費より、現代米国の高水準に到るまで、著るしき変貌を認む。エネルギー獲得がため、人力・畜力使ふ時代より、水力風力利用の単純なる機械の発明を経て、益々技術的に高度複雑なる方法を模索し、深き炭坑、深き油井、発電、原子力の現代に至れり。かくなる変遷と対するに、消費行動のみは聊かの変化あるなし。短期的なる視野にて、すべてのエネルギー源を無尽蔵なるが如く扱ひきたりき。今、先進工業国依然として、再生不能なる資源に大きく依存せり。それ何千年の長きにわたり、樹木を無尽蔵なる資源として扱ひきたりし惰性と楽観、今や化石燃料にも及びたると解せざるべからず。(中略、以下結語)。少しく広き視点に立たば、エネルギー、資源大量消費し、深刻なる環境汚染抱へる現代の工業社会また人口急増の第三世界、これ生態学的に持続可能や否やは一目瞭然たるべし。過去の人類活動、現代社会に対し殆ど克服不能なる難題残して去りしなり」(5)

 すなはち現在の化石燃料、資源の濫費 ( たと ) ふに、往昔薪炭バイオマスのことを以てす。前轍見ざれば、後車の危ふきあらん。また今、温暖化気候変動問題の急となり、物語思ひがけず早や 蔗境 ( しゃきょう ) に入るの概あり。他は今おきて評さず、この人類にして、脱炭素がため石油の使用、自発的に抑へ、止めるを得るや、といふことなるべし。

覧古考新 古い物事を深く思い、新しいものを考えること。 

沖天 天にとどくほど勢力を伸ばすこと。 

貪婪  ひどく欲が深いこと。 

蔗境 話や文章などが面白くなってくるところ。

アンリ・ベクレル(仏、1852−1908)  放射線の発見者。1896年、ウランからのアルファ線放出の観測による。現在の放射能の強さを示す単位に、その名が採用されている。

「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」より

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(長崎総合科学大学 バイオマス研究室,特命教授 村上信明)