14.エネルギー問題と経済などの事,雑説・技術者の脱炭素社会(14/15)

ある人、酒席の 微醺 ( びくん ) にして云ふ、

 今、低炭素といひ、脱炭素といふ、もとこれ、われらの大量生産、大量消費に基づく。以前より警告 許多 ( あまた ) あり、「節約、省エネルギーに舵切らざれば、いづれこの社会崩壊せん」と。近くは云ふ人減じたる感あるも、既にして常套の句とはなれり。これに異存ある人少なし。現今事況の認識、来るべき世への思慮あれば、 ( しか ) なりと自然に思はん。

 一方には、少なくもここ10年、20年は経済の伸長なくんばあるべからずとなし、前説とは逆の方向へ爪先向けるべしの意見あり。もとより現実にはこれ大多数派にして、国力すなはちGDPの時世なれば、永々にといふ ( おもむき ) の論者また多し。エネルギー含め節約節倹は経済金融縮小を導き、その停滞のもたらす弊甚だしきなればなり。わが国現今の国際競争力低下、将来の人口減煩ふまでなく、これにも賛同せざる得ず。けだし今の世、経済のことなくして寸刻だに動かず。「名月や銭かねいはぬ世が恋し」、この上五つけれる昔まだしもとなすべけんや。屋上に太陽電池パネル設けるに、それつくるに要せしエネルギー、かつは排出CO2回収する年月より、投資費用回収するに要する年月の ( おもんばか ) り重き、これまた自然のことなり。

 すなはち、いづれの説ともに、抗するに難く、説かるれば首肯せざる能はざるものならん。ある人は云ふ、経済低調の年、これ資源消費、CO2排出の少なき年となるのみ、名論卓説要なしと。もとより、一偏に決せず、双方の妥協さぐる、すなはちエネルギーの節約、消費抑制なしつつ、経済成長図らんとの論も、また多々あり。されど、期待もちてその具体的内容、効果、実行可能性を窺ふに、容易には納得能はざるも多し。もともと、双方は容易に相容れざる方向性、いはば思想の所産でもあれば、ほどよき配慮の案、最初より困難含むべし。

 かくして、現状にては、両説の間に煩悶すること、エネルギーについて考へるに必須のことと云ふべし。然り、方今のエネルギー・環境問題、複雑極まりなきものなり。三思を以てなほ足らず、その複雑に歯食ひしばり、身悶へして発せる艱苦の言、信用すべく誠実の証ならん。対するに地球を救ふ、未来を救ふ、これ切り札など大仰標語がもとなる単調の楽観、また全体慮りなき一部一方的 偏倚 ( へんい ) の論の類、 ( ことごと ) く顧みずして可らんや。

酔ひ進み、ある人続けて云ふ、

 われ思ひの至る処、エネルギー・環境問題に対するは、やはり一時の艱苦避け難きあらんが、その使用抑制を ( よそ ) にしてなし。今、CO2対策と結びて、エネルギー原料の、ある何か廃して別の何かに替ふべき、といふ論ある時、そのある何かと、別の何かにつきての利害関係有する国、また業界必ず存し、それらためにすることならんとの疑ひ起こりて、確執 紛擾 ( ふんじょう ) の端とはなる。ある何か廃すれば、別の何かに依るなく、その分は節制抑制せんとの覚悟示すが、一方策ならんと思へど、さること更になし。また世の当路の人々、決してそれ望まず、少なくも自らが世を成敗しその中心たるべきの間、経済成長抑へるは為さず、これ憂へて識者云ふ、経済より文化重んずべし、目指すべき発展の方向換へるべし、歴史に学ぶべし、と。然るを、その切なる言良しとはされるも、これ多く効なく、いはんや途上国、貧困の層含め、世界のあまねき認識となるは難し。

 妄りの 云為 ( うんい ) 慎む、われこれ目して以て技術者特質の一つとすれど、今ここに排して更に一歩を進めるに、人類、今また殊勝のこと口にしつつ、辞を ( かざ ) り、美徳善行の ( なり ) してなほ足らずとして、強欲ずくに、石油、石炭に加へ、今後は、自然の風を太陽光を、森林を海を思ふが如く使ひ続け、資源消費し、環境犠牲とするならん。 ( しか ) して個人また世代として責に任ずるなし。後世悪口叩かるあるも、それ世紀いくつか ( けみ ) せば聖君堯舜、盗人 盗跖 ( とうせき ) の区別なきなり。

 物換はり星移れども、エネルギーは人類また国家の命綱にして、少なくもことこの分野にして、性善 暢気 ( のんき ) に看ること、これ不可ならずや。而して、今一番の懸念、低炭素・脱炭素の勢ひを ( たの ) み方便となし実は相和して目先の功利守らんがため、エネルギー資源多大に使ひ、環境損なふことなるべし。これ元よりあるべきに非ざることと雖も、俄かに杞憂と断ずるに 躊躇 ( ためら ) ふものあり。この域、永らく動かし主導し来たるは、熱力学、物理化学の原理原則なりしが、今、何やら違うものに替はりたるの感あればなり。

更に続けて云ふ、

 現今のエネルギー・環境の問題、政治的社会的の要素格別に大きくして、覇権・利権、ビジネスの ( いろ ) あひ濃くなりたり。概ね善良 篤実 ( とくじつ ) を以てことに処するわれら技術者の得意とせざるところなれば、困惑なほ僅少ならず。例へば世の指南の立場なる人、時に科学の名 ( ) り、また目標与ふれば技術が解決するが如く思へるが節あり。もとより立場の上のやむなきに依るもあれど、また権威者、権威加ふるに従い、技術見通しに楽観の言なす傾きあるを見るあり。更にはこの分野、研究、開発とも大規模なること多くして、国の施策・支援重要なる要素たり。為政の人々、その技術の要諦真に解せるや、適切なる専門家の見、反映せしものなるや、疑問に思ふなきにあらず。ある人云ふ、それ、表には時に不得要領に見ゆるも、実は周到なる ( おもんばか ) りの策ならんと。若き日には然りと解せるも、われ今これ判ずる能はず。而して世変にうとき一般衆庶、深くは思はず、つひには楽観鷹揚の行ひをなす。けだし今の世の人すべて、目先刹那の為す易きを為すのみにして、真の難題は次なる世代へ先送りせんとの黙契あるが如し

 酔ひ ( たす ) けの矛盾もあらん、或いは浮薄、或いは矯激の言、諸兄の酒の興醒まし、耳 ( けが ) したるを ( おそ ) る。なほ今一つ重ぬるに、温暖化問題、脱炭素社会、今メディアなどにても喧伝され、表に出ること ( ひん ) ( さく ) たり。ただ、そこなる言説、ただに内容のみならず、口吻、文調に至るまで、われ ( さなが ) ( べつ ) 壺天 ( こてん ) に在るが如き索然の感、日々に長じて強くなり行く。甚だしきは、慮り少なくしてこれ弄ぶ、時に彼に思ふあり、省みて 遮莫 ( さもあらばあれ ) の想ひわれに見るあり。齢の然らしむるところなるや、また別の因あるや、判然たらず。自ら ( はか ) るに、これすなはち既に吾事にあらず、はや別に心移すべしとの ( さとし ) しならんか、と。

孫樹先生、 ( かたち ) やや改めて曰く、

 率直なる困惑の言かな。われら 儕輩 ( せいはい ) なれば、思ふこと相似たりと雖も、中に ( うべな ) ふべきあり、疑ふべきあり、また嘆ずべきあり。ただ、案じ煩ふに過ぎること、今、甲斐なし。高きより俯瞰すれば、往くべきへ往き、収まるべきに収まる、而してそこ、理より出づるところのものより遠くはあらざらん。されど、その間なる ( そば ) 道、眼前の光景見慣れずして、解するに易からずといふ、世に多き進み方の例と了簡すべし。今、エネルギー・環境の大転換の時代にして、優れて政治的なる課題別して多し。社会の表にたちて、範垂れ人を導くべき枢要の人々、自ら任ずるに中流の 砥柱 ( しちゅう ) 以てするは今いくたりありやは知らねど、なほ古人の言葉の末借らば、彼ら「昼なせしこと、すなはち夜は天に ( もう ) す」の節義と気概あらんを願ふのみ、と。

微醺 ほんのりと酒に酔うこと。ほろよい加減。

云為 言葉と行為。 

堯舜、盗跖 堯、舜は中国古代の伝説上の天子、盗跖は伝説の大泥棒。 

頻数 たび重なること。 

壺天 一つの小天地。別天地。元の故事は楽しい別世界。 

遮莫 どうにでもなれ、それはそれで仕方がない、という意。 

中流の砥柱 乱世にあって、毅然として節義を守っていることのたとえ。

「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」より

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(長崎総合科学大学 バイオマス研究室,特命教授 村上信明)