2.時代の遷移の事,雑説・技術者の脱炭素社会(2/15 )

同齢の友の来たりて云ふ、

 時代の ( うつ ) る、なんぞ ( はや ) きや、エネルギー問題、本来一時の 流行 ( はや ) ( すた ) りとは縁薄き典型例にして、50年、100年なる長き射程を以て考ふべき課題なること疑ひあるべからず。然るを、また社会経済情勢、或いは世論に依りて急激の揺動あること多き、今眼前に見るが如し。

  ( うた ) た今昔、顧みるに、今より時を隔つわずか20余年の1990年代中頃、太陽光など再生可能エネルギーの開発、これ化石燃料の枯渇抑制と地球温暖化防止、双方へ貢献せんがためなりき。既に温暖化問題はあれど、化石燃料枯渇対策の比重、より大にして、CO2何トンの削減といふより、石油何トンの節約といふ表現一般なる時代なりき。然り、再生可能エネルギー開発は、多く先々の化石燃料枯渇への対応がためなる時代、更には電力に偏せずして、エネルギー全般の議論なされし時代と覚えし。方今実施さる多くのテーマのCO2対策技術、その原型あらまし固まりたるも実にこの時代ならん。

 エネルギー供給の将来につきては、長期的には高価・劣質となり行く石油、或いは天然ガスに替はりて、埋蔵量豊富の石炭利用せられ、その不足分を太陽光、風力、水力発電、バイオマスなど自然エネルギーによりて補ひ、可能なるもの順次置き換へゆかん、高速増殖炉、核融合炉実用に供さるあれば、その分の余裕生ずるも、現状の軽水炉原子力ある割合にて並行使用さる、これ当時の標準的シナリオにして、21世紀末には石炭まだ余裕あるも石油枯渇に向かひ、CO2排出せんにもそれ自由ならずの状の筈なりき。

 加へて思ふに、その後の一時期、奇なるに似たりといふべきことあり。温暖化云ふひと、化石燃料枯渇を説かず、逆に化石燃料枯渇云ふひと、温暖化を軽んずるの傾きあり。もとよりともに真実重大となすひと、ともに虚妄些事となすひとまたあり。

 2021年の今、その位相大きく移りたるの概あり。化石燃料が先々のこと、人口にのぼる多くなく、人為CO2による気候変動こそ、人類の危機にして、その対策最優先の意見、現在公的に表明さる範囲での大勢とはなれり。すなはち、「CO2による人為的温暖化の脅威」の、「化石燃料枯渇の怖れ」を越えて深刻に議論され、一世の 輿論 ( よろん ) となりしは、たかだかこの十数年前よりのことなり。 ( しか ) して慌ただしく太陽光、風力、バイオマス発電など動員されてあり。これら以前よりこの双方に資するものにして開発なされてあれば、心も衣装も備へ整はぬに舞台へ押し出されし ( しょう ) ( ゆう ) が如くに非ざるは幸ひなりき。

 述上20余年前に強調されし如く、化石燃料枯渇と温暖化、この対策の方向相同じうして、程度の差あれど、一部除けば大半の関連の技術開発は双方に寄与するもの、これ別して記すべき幸ひなり。されど10がうち4、5のCO2削減は、概ねこの 僥倖 ( ぎょうこう ) に沿ふべきものならんが、脱炭素さしてなほ越え行かば、それよりの 乖離 ( かいり ) ( おそ ) れ無きや、すなはちこの二つの抑制対策は今後如何なるなる関係となり行くや、これ談ずるに余裕あるひと周りにあらざれば、時に心惑ひて安からず、と。

孫樹先生曰く、

 久しく ( おそ ) れてゐたる化石燃料の減耗枯渇なるに、今、脱炭素がため自発して放棄せんとなす。この間、大画期なす技術革新ありとは思へず、否むしろ原子力利用の不安 ( あらわ ) るあれば、われまた不思議の感に ( やや ) 越ゆるものあり。ただある文の意に云ふ、良き ( ) 良き機にして、空に ( わし ) 狙ひ定むれば、一 箭双雕 ( せんそうちょう ) を得べし、而して熟達の者、二雕得ずも一雕を失はざる射をなす、また良く謀るもの、双功得ずも一功を失はざる計をなすと。われら既に老いたり、微力及ぶべきにあらず。やがて良く射る者、良く謀る者いできたりて、 紛紜 ( ふんうん ) を整へ、末は収まるべきに収まる按配をなさん、思ふべし、と。

あらずもがなの注

倡優 役者、芸人。 

一箭双雕 一つの行動で二つの利益を得ること。一本の矢で二羽の鷲を射る意。 

紛紜 物事が入り乱れること、もつれること。

「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」より

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(長崎総合科学大学 バイオマス研究室,特命教授 村上信明)