3.脱炭素と化石燃料などの事,雑説・技術者の脱炭素社会(3/15

先の人、再び来りて云ふ、

 今、脱炭素の気運高くして、世界に 獅子吼 ( ししく ) されるあり。それ成就せんがため化石燃料の利用早期に止むべきとの潮流、加へてまたあり。意外、不思議の感なくんばあらず。化石燃料の先行き供給不安は、少なくも ( ばん ) ( きん ) 半世紀、世界の大いなる懸念のもとなりしものなり。その化石燃料、これより30年がうちにその利用をとどむ。それも、枯渇損耗進みて、或いは上質のもの取り尽くして価格高騰し、以てやむなきといふにあらず、温暖化に有害なるものとなし自発して放逐せんとの算なり。

 その代替の主役は、ひと昔前に想定されてゐたりし増殖炉また核融合、或いはそれよりのち期待もちて言及されしバイオマスにもあらずして、風力、太陽光由来の電力、加ふるにそれよりの水素等誘導体なるが如し。風力、太陽光発電の双方とも、20年前には実質的には殆ど普及してはあらず。されどまたこと新しき技術ともいへず。太陽光発電、既に65年前(1953年)の発明なり。風力利用、実に太古の昔よりあり、これ発電に応用せらるは19世紀末葉がことなり。 ( しか ) してこの二方式の最近の躍進は、性能改善と生産技術の革新、量産による低廉化もとより以て功ありしが、政治の支援これ普及の大いなる力なりき。

 頃日、メディアに脱炭素につきての評論記事あり。再生可能エネルギーよりの電力を起点となして、現状電力のみならず、運輸用から現在の石油化学製品、すなはち衣料、合成樹脂に到るまでの用途残らず賄ふといふものなり。その略に曰く、「2050年のCO2ネットゼロがためには、電力もとより、今は化石燃料用ゐる他部門の脱炭素化不可欠なり。近時、再生可能エネルギーの発電コスト、世界的に低下したり。これ、3円/kWh程度にまで進みて普く行はるに至れば、暖房、運輸部門の利用につきても今の石油に替へること能ふ。製鉄での鉄鉱石還元、また化学工業、航空機など、電化には難き用途の脱炭素、更には燃料水素の製造も可とならん。日本は、太陽光の資源豊富にして、洋上風力の可能性また大なり。今は資源小国なれど、21世紀には・・、云々」。もとより、再生可能エネルギーを原子力に移すも、のちの部分の理は変はらず。今、わが国の化石燃料の年間輸入総額に占めるは、略2割から3割と巨額なれば、これなくして済まばまことに良きことにてはあらん。この種論議に往々あるところの錯雑の枝葉少なく、脱炭素の手法分明なり。ただ市井読者の一閲、脱炭素別して ( かた ) んずるゆゑなし、政治の決断と産業界の奮起のみと思ふの惧れなしとせず。

 退きてわが身含めつらつら案ずるに、石油はじめ化石燃料限りあることに云ひ及びし人々、表立ちたる啓蒙家、警世者に限らず、多数にのぼらん。その趣き学生へ教授したるわれら教員含め、世代の共通認識ともいふも可なり。これらの人々、易くに化石燃料に替はるものなきなれば、大切に末永く使ふが肝要なる類のことを口にし文となし、またその方向けて研究開発、工業化図り以て今日に至れり。今、30年後に如上識者の論が如き脱炭素社会の円滑に到来すとせんか、すなはち100年、150年の先ならずして、かくなる短期に化石燃料の、さしたる難なくて放逐さるとせんか、われら含めこれらの人々、これ迄CO2削減に貢献なしたる一面はあれど、詮ずるに、化石燃料の貴重性、役割の重要性への拘泥なほ過ぎたることとはならん。 

 脱炭素社会への転換、これ実に社会の基盤たるエネルギーの供給・利用体系の転換そのものなれば、一国の興亡に深く ( あずか ) るあり、また ( そう ) ( そう ) の変なくんばあらず。われ幸ひにして、30年のちなほ生あれば、上にいふ識者の論含め、今、如何なる人また組織、如何なる根拠もとに、如何なる意図もちて、その主張なせしか、それ記憶に留めおきて、結句、気候変動含め如何なる状に決着せしか、これ知るを老生永らえる一片 ( ) りどころとはせん、と。

孫樹先生曰く、

 われ十余年前の自著を「昨日今日いつかくる 明日 ( あした ) 」と題せり。ここに「いつかくる明日」とは、いろいろの意味含ませたるも、直接には化石燃料使用せざるに至る日を指したるものにして、書中にひきし在五中将「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」の「つひに行く道」に托したるも同じ意なりき。ただそれもとより、今日が如く自主的なる停止を図るにあらずして、枯渇して利用能はざるに至るといふ想定なり。

 それともかくとして、すべて再生可能エネルギーの電力経由にして、低炭素を越えて、本格的脱炭素目指さば、この識者いふところの電力価格は妥当の目標なるべし。加ふるに、わが国の場合、今、電力は最終エネルギー消費の四分が一強に過ぎざれば、最終的にはこの廉価電力、相応なる膨大量を要さん。而して時世の俟つところ如何、ことの大きくして、管見もとより 逆睹 ( げきと ) するに難けれど、畢竟、最終の裁決者は将来の史家記すべき「事実」以外にはなし、と。

獅子吼 雄弁をふるうこと。

輓近 最近、近頃。 

滄桑の変 大海(滄)が桑畑になるような大きな世の中の移り変わり。

管見 ものの見方考え方が狭いこと。 

逆睹 物事の結末を予め推測すること。

「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」より

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(長崎総合科学大学 バイオマス研究室,特命教授 村上信明)