5.用語と単位の事,雑説・技術者の脱炭素社会(5/15

ある人の云ふ、

 昨今の温暖化、気候変動問題、如何に頻繁に報道にのぼり、広く関心もたると雖も、科学者・技術者でもなき坊間一般人にとりて「二酸化炭素、CO2」は単なる温暖化に繋がる「ことば」、「用語」にして、一個の炭素原子、二個の酸素原子が共有結合をなし、温暖化の因たる固有の赤外振動帯をもつ化合物にては決してあらず。これ、無理からぬところにて、以て説くに効無く、また実害もなからん(但し、これ温暖化の機構説明の基本なり、 ( しか ) して世 ( こぞ ) りて喧々の大問題たるは、退きて思はば少しく奇なる体なり)。ただわれ時にうち思ふに、この分野に広く行はれて違和の感ある用語また標語いくつかあり。これら現在斯界の代表的のものにして、今更われ如き一匹夫の云ひなすは詮なき無論なれど、またなんとなし事情察するあるも、やはり気にはなるなり。

 すなはち、「持続可能な発展・開発」、これ今世紀への変はりめ頃に議論多くありたるものにして、単純直截の「持続可能社会」とは異なり、概念矛盾(sustainとdevelopment)と思はるも、長き歴史的経緯ありまた複雑困難の政治外交成果と云はるれば致し方なし。「水素社会」、二次(実質的には電力経由の三次)エネルギーに過ぎざるもの ( ことさら ) らの標榜は、諸般、婉曲模糊となること避けるは難からん。「地球に優しき、地球を救ふ」あとに技術・製品名など付けり、地球四六億年激動の歴史に鑑みれば、地球を過小評価せし人間中心主義の露骨なる表現なるが如きの概あり。而して、近来主題の「脱炭素社会」これやはり「脱炭酸ガス社会(炭酸ガス中立社会)」と呼ぶべきところならん。炭素元素を例へば同族元素たるケイ素に置換するにはもとよりあらずして、化石燃料(主要成分は炭素と水素)の利用脱する意なれど、わけても化学を生業となす者、炭素は重要なる素材、研究対象にして、21世紀は「炭素の世紀」と云はることもあり、ここに語感ふくめ諸々のことありてか元素名「炭素」使はるは、聊か面妖冤罪の感なきにあらず。また、その利用は大気中CO2濃度に変化生ぜずとして 炭素 ( カーボン ) 中立 ( ニュートラル ) なる響き良きを冠せられし有機物バイオマスは、高度の「炭素利用」により「脱炭酸ガス社会」めざすものと評すべきならん。

 日本の戦後作家、泰西作家の言引きて云へるあり、ライオンは未だ名なき日には、得体知れざる者なれど、人間のひとたびライオンなる名前与へたるのちは、詮ずるに、それライオンにして撃倒可能なる獲物に過ぎざる者となると。然り、名前与へるは重要なる作為にして軽々になすべからず。ライオン、実体あり次いでそれに名づけしもの、対して上にいふ用語、いづれも、まず名ありて未だその具体的の内容必ずしも定かならず、而して人々多くその名は聞くもまた求むるも、 ( じつ ) を知らず、知るを欲せざるの状にあらんや。

続けて云ふ、

 用語の話に及びたれば、ここに言を加ふ。一般の読書人、耳目 ( なら ) はざるも、時に出会ひ、興ひく学術的なるものあり、エントロピー、その一つならん。これ、さまざまなる領域の本質的とされる議論にしばしば顔出だせるがため、世間には令名高きが如し。本分野に例とれば、化石燃料は、再生可能エネルギーよりエントロピー低くして在るが故に価値高し、或いはリサイクルに必要なるは、エネルギー一般ならずして低エントロピー物質なり、などと用ゐらる。これ、われ苦手とするところの用語にして、多くの技術屋諸氏もまた同じからん。エンタルピー(熱含量)と異なり、大学にて学ぶも、実社会に出てはつひに使ふなく終る技術者また多かるべし。すなはち、われらにとりてエントロピーは、J(ジュール)/K(ケルビン)の単位もつある物質の熱工学上の具体的数値にして、それ離れると途惑ひの如きものあること宜ならんや。

 今、聞くならく、燃焼し拡散したる大気中400ppmのCO2回収せんとの試みありと。燃焼排ガス中10%のCO2の回収だに易からざれば、更に二五〇倍に希釈されたる大気の、その必要処理量考へれば難易度頗る高かるべし。而して思へらく、これすなはちエントロピーの問題ならんと。ただ、この場合傾向は示せるも、 幾許 ( いくばく ) の期待あるところの、その適否は直接定量的に判ずる能はずして、手法、エネルギー消費、装置価格など具体的なるプロセスにつき個別検討のなくんばあるべからず。床に ( こぼ ) せしコップが水、これ自然には元へ戻らずと熱力学教へるも、実際に元へ戻すに如何ほどのエネルギー要するや、また 抑々 ( そもそも ) それ可能なるやは、なほ個別具体の状況に依るに同じ。苦手の 所以 ( ゆえん ) 、かくなるところにもあるらし、と。

 

孫樹先生曰く、

 これ同類ならんが、単位のこと、われ久しく気にはなれり。単位の正確なる理解、ことのほか易からず。逆に、その理解あれば、ある程度の知識有せる証左となすも可ならん。

 電力関係にいはば、特に動力kWと、エネルギー(仕事)kWhの混同甚だ多し。エネルギー・環境問題、広範なる事業者また一般大衆に関心もたれてより、混乱少なからず生じたるが如く思はる。これ弁ずるに 覚束 ( おぼつか ) なきは、エネルギー問題考へるに少しく深刻と評さざるべからず。 ( がい ) ( ) の誤り、ワードの漢字転換ミスの類ならず。更には時にkW/h(或いは一時間当たりXkW)などといふ単位、技術者善意の常ながら別解釈為すも、これ無益にして殆どは単純なるkWの誤記なり。近来、漸くに解消されし如くあると雖も、時に目にし耳に聞くことあり。これら誤れる人々、相通ずるあり、すなはちこれ全くの些末事と看做すことなり。

 尤も、かくなること世間に多々あり、われらまた専門の ( よそ ) にて如何なる恥 ( さら ) しゐるや計るべからず。専門分野に、 愧赧 ( きたん ) の至りなほあるは言を俟たず、と。

耳目嫺はざる 見慣れたり聞き慣れていない。 

亥豕の誤り 字の形が似ていることから書き誤ること。亥はいのしし、豕はぶた。 

愧赧 恥じて顔を赤らめること。

「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」より

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(長崎総合科学大学 バイオマス研究室,特命教授 村上信明)