9.技術者の現在の事、雑説・技術者の脱炭素社会(9/15)

ある人の云ふ、

 分野問はず、近来の研究者、科学的・技術的事実の正否がためより、研究費がためより多く議論するの傾きありて、 見栄 ( みえ ) よき題目と発表材料、多少の言ひ過ぎあるも美辞高声の言ひ勝ち功名、世一般の誘致合戦と相似たる風景が如く見ゆること時にあり。また今、研究者の研究費 ( ) るに、重点もちて配分さるべき流行に敏感たらざるを得ず、また抗する能はず。本来よりすれば、エネルギー開発は、流行とは縁遠きなるものが筈なり。されど、流行の技術開発、相応の不易本質ありて地道なる本来の研究に落着くものあるも、早々に霧消するものまた少なからず。以て虚心思ふに、今もて囃されるもの、いろいろに刺激与ふるの功あれど、結句これ流行、時尚にすぎざるやの懸念あり。 

 顧 ( かえり ) みるに科学は、科学者(scientist)の名 ( いま ) だなき16、17世紀泰西にて、有力なるパトロン庇護下での、或いは有富貴族自身の趣味的なる実験を 濫觴 ( らんしょう ) とせり。知を愛する彼らアマチュア清閑の所業は、大きく発展しきたりて、今や、実用的なる問題解決、加へてそれと直結せし企業・国の利潤追求の手段たる「技術」と分かち難く結びつき、「科学技術」と称されたり。而してこの科学技術、20世紀初頭以降、怒涛の功ありて、その効用 ( あまね ) く認知されるに及びしが、それ一方にては、科学者・技術者の加速度的増大と集団化、給与生活者への変貌の過程でもありき。

 例へば、その名冠せし外燃機関「スターリングエンジン」の発明者、牧師なりき。今を時めく「燃料電池」の祖グローブ卿が本業、裁判官なりき。かくなる発明歴史続けば、ことのほか愉しきならんが、今日にては、もとより ( ) あるべからず。すなはち、専門教育受けし職業人たる科学技術者、而して大掛りの予算・装置のもとなる開発とならずんばあらず。科学技術、崇高なる使命感もちて捉へられし牧歌的時代、既に遥かに遠し。今、産業社会最大の闘争手段となり、企業、国、以てこの競争に ( しのぎ ) 日夜削れり。

 ただ退きてことの ( よう ) 案ずるに、これ ( こと ) ( さら ) に嘆き悲しむべきにあらず。経済発展優先せし社会の要請、期待せしが如く成りき、国民また豊かなる生活得たりき、同時にこれ資源、環境問題を招来せる社会構造生みしが、その構造の中にて科学技術また科学技術者、 如上 ( じょじょう ) の安定せる地位身分獲たりと云ふも可なり。 畢竟 ( ひっきょう ) するに、乗り越えらるべき状況と課題もちて進行せる、今のわれらが世界の仕組みの一つに過ぎずして、時代、当然の如く推移したるが結果といふのみ。もとより、更に五歩十歩を退きて観ずれば、別の想ひまたあらん。この西欧列強発の自然科学そして技術が、エネルギー多消費、高度の工業化社会を生みかつ育て、その独特とも普遍的とも弁ぜざる手法は、今も日々昂進され容赦なくして世界を覆ひ尽くさんとしてあり。数世紀、十数世紀の時間軸で捉ふ時、それ真に人類にとて幸ひなりしや、といふ類のことなり。

 ともあれ、やはり冒頭に述べしこと、時に想ひて憂へ覚へるあり、試みに思ふべし、若き任期付研究者、先の 活計 ( たつき ) の不安心に ( さしはさ ) みて、なほ人類の将来エネルギー技術のあるべき ( かたち ) 、計るに難なきやを、と。

孫樹先生曰く、

 われ技術者渡世の具体の術、今は跡残さずして忘却したり。残ると雖も、時移りて久しければ、披瀝するに益なからん。されど貴見聞きて一言せん。今、エネルギー・環境分野の政治、世情と相渉ること、頗る濃くして密なり。されば、時宜流行によりて研究開発提案の 輸贏 ( しゅえい ) を決すことあり得べきにして、或いは研究開発費潤沢に付きて勇む時もあらん、或いは科学技術も結句、権威権力によりて動くとの歎発する機もあらん、世の中都合よきばかりはなし。とはいへ、貴君と同様の困惑、幾たびか耳にしたることあり。もとより技術者、みな本旨本道に拠りたきとは思へど、今、何が本旨本道なるか見極め難き趣きもあり、将来顧みるに、大きなるエネルギー開発の流れよりすれば、寄り道といふべきもあらん。 ( ) ( どう ) を行く者は至らずとは云へど、その小径に意外の発見、また事業の種もあるべしと思へかし。けだし、われらすべて ( ) ( せい ) たる能はず、またその要もなし。肝要なるは技術者の矜持失はずして、日々勉めることならん。

 深刻の話、ここまでにおかん。われ先に「反応工学実験の作法」と題し、若きらがため実験研究に際しての意おくべき事柄まとめたり。数に ( げん ) かつぎ、太子憲法の17項目としたれど、ここにそれがうち10を並べ、本分野技術者が生態の一端窺ふ扶けとはなさん。すなはち云ふ、理化学の原理・法則との乖異なき適時検すべし。先行の文献査するは不可欠にして、時に大いに益すること云ふを俟たず。実験研究方法の事前の 考覈 ( こうかく ) 怠るは、のち小患大患に至ると心得べし。安全に充分の意用いるが実験のはじめ、整理整頓その基と知るべし。人事尽くさずして安全を期し、また新発見の僥倖待つ ( なか ) るべし。実験の現場に出向き立ち会ふこと、また現物を親しく目睹すること研究要諦の一なり。失敗実験また新しき発見の基となることあり、状況に応じ精査すべし。実験は独りのものならず、折にふれ同輩、分野異なる専門家の知恵徴すべし。真つ当なる実験データの前には地位役柄関せずみな平等なること銘記しおくべし。時に先達の労苦功績に思ひを致し、而して新しき求め努むべし。

時尚 その時代の好み。 

濫觴 物事の始まり、起原。觴(さかずき)が濫(あふ)れることから。 

活計 生活をたてること、暮らしを営むこと。

輸贏 勝つことと(贏)と負けること(輸)。 

衢道を行くものは至らず 衢道は四方に通じる道のこと。いろいろなことに手を出すと成功しないたとえ。 

夷斉 伯夷と叔斉。中国周の時代の聖人・隠者兄弟、殷を滅ぼした周の粟を食むことを潔しとせず、首陽山に隠棲し蕨を食べて餓死した。

ロバート・スターリング(英、1790−1878) スコットランド教会の牧師であったが、担当教区で蒸気機関の爆発事故での災害が多いことに心を痛め、それに替る動力源として、今日「スターリングエンジン」と呼ばれる外燃動力機関を発明。 

ウィリアム・グローブ(英、1811−1896) 判事としての法廷の仕事を病気のため中断している間に、科学的研究に興味を持ち、1839年、28才の時、酸素・水素系で燃料電池の実験に初めて成功した。

「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」より

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(長崎総合科学大学 バイオマス研究室,特命教授 村上信明)