雑説・技術者の脱炭素社会(はじめに)

 本書はエネルギー・環境問題、また低炭素・脱炭素技術について、今までの経緯と今後について、短くはない期間、企業また大学で本分野に関わってきた技術者としての知見と所感を記したものです。表題「技術者の脱炭素社会」にある「技術者の」には、「技術者にとっての」という意味と、一般の方にも知って頂きたい「技術者がおかれている状況としての」という意味の双方をもたせています。趣旨は最初の序に記した通りですが、「この分野の技術者にとっては当然の内容、常識の類」も多く、通常の文章にするのもためらわれたこと、「その他諸般の状況」を鑑みて、少々窮屈な構成・文体と多くの日常馴染みのない語彙を用いています。普段とは違った感覚で読んで頂き、想いを巡らせるきっかけにして頂ければと期待するところです。各項目は内容的には一応それぞれ独立しており、どこから読み始められてもいい形にはしています。

 ここで、「この分野の技術者にとっては当然の内容、常識の類」というのは、具体的には次のようなことです。エネルギー・環境問題を考えるには、関連する原理原則についての知識とともに、部分的な高効率・クリーンには余り意味なく、 ( きず ) は多くとも真っ当な全体が重要であること、もとのエネルギーと、二次エネルギー、その利用機器の区別の明確化が必要であること、温暖化問題は、まず元の一次エネルギーを何にするかが基本的課題であること、低炭素はともかく、本格的脱炭素とするには特別な課題があること、などの認識が不可欠です。ただ、これらは、特段新しいことではなく、中には、既に今まで多くのことが言われ、それこそ十年以上も以前から識者が指摘してきたものもあります。従ってこれらを通常の文章にすれば、屋上さらに屋を架しただけに終わる怖れなしとしません。

 また「その他諸般の状況」とは、例えば次のようなことです。エネルギー・環境分野はもともと政治経済的な色合いが強く、国家や関連産業界の覇権闘争の元となる面があることは否めないところです。一技術者としては、昨今のこの分野の急激な変化、国内外の情勢、更には想定される様々な対応技術に少なからず困惑し、屈折する想いがあります。そしてその規模の大きさ広範性、切迫性に鑑みれば、その想いは特別なことではなく、多くの技術者にとっても自然なことのようにも思えます。この困惑や屈折の想いを託するにはこのような形も一案ではと考えた次第です。

 補足資料に一部を示しましたが、13年前(2008年)、主に学生諸子、一般の方の啓蒙を目的に、エネルギー・環境問題とその対応技術について解説した鄙著を上梓しました。時代が移るのは速いとはいえ、十余年後にこのようなものを作るとは当時は予想しませんでした。ただ今にして思えば、勿論個々に反省するところは少なからずありますが、斯界の当時の状況を伝える一書として残せたのではという聊かの自負があります。その意味では、この分野が今後どのように実際に展開されていくか予想は難しいのですが、本著もこれから十年後、二十年後に読んで振り返って頂くことを 覬覦 ( きゆ ) する思いがなくはありません。

 なお本文は、令和二年の秋に最初の案をつくり、その後、この分野の状況変化にかんがみて添削、加筆修正をくわえて今日に至ったものです。「低炭素」の用語が急速に「脱炭素」に置き換えられていった時期でもあります。できるだけ中長期的な観点からの内容になるようにしたつもりですが、上記の通り執筆動機の一つが現時点でいわれている脱炭素社会への一技術者としての困惑ですから、今後状況が変わればそぐわない部分が出てくるかも知れません。また本書の性格上、具体的な技術的内容に精確さは期し難いので、必要があれば別書に拠って頂きたく思います。

 今、脱炭素社会は世界挙げての目標となり、各所でなされまた今後もなされるであろう広範な議論からすれば、本書に記すところは実にその一斑にすぎませんが、エネルギー、温暖化・気候変動などの環境問題の現在、そして将来を考える上で本書が少しでも参考になれば幸甚に思うところです。

「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」より

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(長崎総合科学大学 バイオマス研究室,特命教授 村上信明)