先生が大学居室傍に
公孫樹
*の一樹あり、因りて自ら号して
孫
樹
先生となす。淵明五柳先生*にならひたるものなり。先生、社会に出でしより
怱々
閲
半世紀、数年の前、機械工学担当教員定年を期して職半ば辞したれど、なほ企業等よりの委託また知己教員よりの依頼受け実験にいそしむ日々あり。時に客あり、孫樹先生、もとは化学専攻の技術者なれば、来客また同類の仁多くして、或いは同業の教員、企業人、或いは卒業生、旧友来りて談ず。談ずるところのもの、多くは先生久しく関与せしエネルギー・環境技術にわたる。三,四人集ひ来りて、ある人一場の弁舌を揮ふもあり。素養経験相似たれば、
見
また相似るを憾みとなす。先生云ふ、わが言、半世紀の技術屋生活がうちにおのづから備はりしものにして、格別の学術的系統的の
考覈
*が所産にあらず、重きをもつて聴くに足らずと。
而
して中に多少の興なきに非ざるものあれば、折々の感慨など含め書きとどめ置きたり。明日には退き、為すなくして時景愉しむ身とはならん老生なれば、読み易きに少しく構成し、文辞未だ整はざる
聊
かはあれど、ここに取りあへずの一書をつくりて、諸賢が参考に供するものなり。表題に「雑説」と冠す。まとまりたる論ならず、いはんや具体的方策提示の意あらざる、以て示すがためなり。
昔日、先生企業にありし時、定年近き先輩に、この分野に経験せしところ、思ふところまとめ
著
さんことを請ふ。先輩の答へに曰く、
斯界
の動き
疾
くして複雑、定見記すること頗る難なり、われ一介の律儀の技術者、
豈
疎漏の論、曖昧の言残して、方寸*安く余生送り滅せんやと。先生再びは請はずしてこのこと終れり。而してこの書この述、いかなる数*もたらすや、先生知らず。
目障りともならんが、文芸作品にあらねば、随時語句釈を人物略歴と併せ付す(*印つけたるもの)。
公孫樹 いちょうの漢名、孫の代にやっと実がなることから。
淵明五柳先生 陶淵明は中国晋の時代の詩人、宅辺に五本の柳があったので五柳先生と自称した。
考覈 考え、しらべること。
方寸 ここでは胸中、心。心臓の大きさが一寸四方と考えられていたことによる。
数 ここでは運命、巡りあわせ。
雑説・技術者の脱炭素社会目次 へ
|