4.エネルギー利用の原理・原則の事,雑説・技術者の脱炭素社会(4/15)

ある人の云ふ、

 これ、いづれも学術深きところにあらずして、日々忙々立ち ( つと ) める若き技術者にとりては、云ふに足らざる無駄話ならんが、思ふことあり。

 世にあること ( すべか ) らく原理・原則といふものあり。エネルギーにつきては特にしかり。ここに具体の例いつくか挙げんか。

 今、時にCOをして資源となせるもの目にすることあり。これもとより炭素含む物質資源にはあれど、エネルギー資源にてはあらず。或る燃料をば空気(酸素)にて燃焼し、その熱エネルギー利用したるあとのCO2、これ再び空気にて燃えるべく変えるには、外よりエネルギー加ふ要あり。CO2に水素を加へて有機物、例へばメタンとする場合を想起すべし。 ( しか ) して、その場合の利用できるエネルギー量は、加へたる水素の保有エネルギー量を越ゆること決してあらず( ( あまつさ ) へこれ発熱反応なり、ここに精確を期す難ければ 絮説 ( じょせつ ) せず)。無より有の生ずるあれば誠に結構のことなるも、生憎にしてこれ叶はず。

 また、今後いかなる技術進歩ありても、水、或いは水蒸気より水素を作る電力、各段に減ずることなし。或る温度にて、標準状態の水素一 ( りっぽう ) ( メートル ) を製するに要する最低電力量は決まりたればなり。普遍的法則たるエネルギー保存則の一つの現れなり。されば、将来の期待大なる水素が価格は、直截に電力価格と相関せるものにして、電力代少々高けれど、技術革新によりて廉価なる水素とは成り難し。設備償却など考慮する要あれば単純ではなきも、この基本変はらず。すなはち、将来、期待されるが如く水素廉価にしてそれ遍く電力より得る社会来るとせば、その元なる低廉の電力、以て広く享受できる社会でもあり。及すれば幾らでも廉価となる普通商品とは、 ( いささ ) ( おもむき ) 異にすること意なほ留むべきならん。

 今、「水素とすれば、CO2排出量増すべし」と云ふ人あり。例へば太陽光発電にて電力を得、そのまま電力として利用せずして、電解水素となし、 何処 ( いずこ ) かにて発電するに、その効率四割なれば、少なくも元電力の六割を失ふ。それ事業用火力にて補へば、その分CO2排出量増さざるを得ず、といふことにて ( わり ) 無きにあらず。また2018年政府白書に「EV(電気自動車)にすれば、今の中国にてはハイブリッド車とするよりCO2排出増加すべし」とあり。これ今、中国に石炭火力発電所多ければ、当然のことにて何らの不思議あるなし。水素、EV、そのものとして佳ならず。エネルギー・環境問題、独り 其処 ( そこ ) のみ高効率、クリーン、廉価は殆ど意味なくして、システム全体への ( おもんばか ) り肝要といふことなるべし。

続けて云ふ、

 われ一次、二次エネルギーの概念理解に混乱の気味ある学生に教示すること時にあり。

 一次エネルギーなる化石燃料よりつくられし電力は二次エネルギーと称さる。一次エネルギーの一種たる再生可能エネルギー、例へば風力を利用し「風力発電」といふ方式・装置で得られたる電力も同じく二次エネルギーと称すべし。而してこれら電力よりつくられし電解水素は、三次エネルギーともいふべきも、 煩瑣 ( はんさ ) なれば一般に二次(的)エネルギーと称さる。しかるべき海外国の山奥、或いは砂漠に出向かば水素ガス採取できんと思ふ仁、もはやあらざるべし(但し、これなほ保せず、要人失笑を買ふ、今もあるらし聞けばなり)**注。されば、水素の利用法のみ格別に思ひめぐらすは、元々の食肉野菜作るを ( よそ ) に置きて、その調理法心砕くに喩ふべし。これエネルギー問題案ずるの基本と目せど、また様々なる形にてメデアに登場すること多しと雖も、一般世間の理解あるや否や、少しく心許なく思ふことあり。

 然り電力、水素は一次エネルギーより製せらる二次エネルギーにて、蓄電池またある種燃料電池はその二次エネルギーの利用機器なり。将来の電動自動車の、蓄電池型とならんか、或いは燃料電池型にならんか、これエネルギーの流れよりすれば、二次エネルギー形態の電気か、水素かの差にすぎず。もとより、この分野には取組むべき技術課題多様にして多く、技術者努めて日進月歩の進歩あり、 向後 ( きょうこう ) の基礎技術、生産技術の大いなる革新期待さるべく、それら成果は、一次エネルギー運用に幅もたせ、普及促す著大の ( しるし ) あり。例求むるに低廉かつ環境負荷少なき蓄電池普及すれば、自動車への適用もとより、太陽光、風力発電の負荷変動の吸収可能となり、因りて調整用火力減ぜられ、CO2排出低減への貢献成る。ただ、これも必要量の一次エネルギー供給が円滑になさるの前提ありてのことにして、啓蒙がため言極むれば、水素、EV、それ自体はCO2排出抑止と無関係となすも可ならんや。CO問題の基本は、一次エネルギーに化石燃料使ふや、或いはそれ以外のもの用ゐるやなる単純至極のものなればなり。

 縷々 ( るる ) 述べきたりしこれらのこと、いづれも今更改め説くに足らざることなり。ただわれ観ずるに、かくなるエネルギー・環境問題考究の大前提につきての知識・認識、一般衆庶は論なく、直接の関係者以外に余りなきが如し、時に嘆を発せざるべからず、と。

孫樹先生、笑ひて曰く、

 これ、論なき 贅余 ( ぜいよ ) の閑話となすに当たらず。昔より識者繰り返し云ひ及べるも、寸毫だに変はらざること、この分野にも少なくはなし。けだし良識の万人に備はるになほ時を要すべし、エネルギーにつきての必要なる知識の相応の人に備はる、これまたなほ時を要すべし、或いは時経るもつひに然ることなきか。ただ、われら応分の責ある身なれば、啓蒙がための労惜しむは、もとよりあるべからずとなすのみ、と。

あらずもがなの注

絮説 くどくどと説明すること。 

向後 今からのち、今後。 

贅余 余分のもの

**注) 最近になって天然水素が話題になっている。この部分は旧来の知識のままに書きすぎてしまった感があり、せめて「現状では大量の」の限定くらいつけておけば、と後悔する次第である。詳細は一次エネルギーとしての天然水素ご参照(2024年3月記)。

「雑説 技術者の脱炭素社会(改訂増補版)」より

 *アマゾン https://onl.bz/pDuFDYn

 

雑説・技術者の脱炭素社会目次 へ

   ホームページトップへ

(長崎総合科学大学 バイオマス研究室,特命教授 村上信明)