第6講(1)二次エネルギーとしての水素

 水素は周知のとおり、現在大きな期待を持たれ、その製造、利用技術について大掛かりな検討がなされています。勿論、水素は二次エネルギーであり、一次エネルギーを含めた全体システムとしての評価が必要です。2008年当時、水素の元は何かについて、必ずしも明確ではありませんでした。現在では太陽光、風力などの再生可能電力からということで、おおむね確定したようです(即ち水素は電力経由の3次エネルギーともいえます)。従って、水素の評価はその利用技術とともに、基本的にはこれら再生エネルギーのコストと普及度によることとなります。ここでは、水素のエネルギー利用について基本的な事項を述べました。(2020年6月)

 それにしても、脱炭素の報道に「水素やEVは、CO2ゼロと何か関係あるのですか?」と問い返してみたい気がする昨今です(元の一次エネルギーを含めたきちんとした回答が戻ってくるでしょうか?)。

関連の新著です。

雑説 技術者の脱炭素社会」 梓書院、2021年12月)

2023年11月、通常現代文の解説(50頁)を加え、改訂しました

改訂増補版; アマゾン https://onl.bz/pDuFDYn

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「現在の脱炭素社会へ向けての活動が、相応の覚悟と確かな目論」によってなされているとすれば、我々は新たな文明への分水嶺の目撃者たる運命を担っていることになる。もしその覚悟と目論見なくして今の状況があるとすれば・・」的なことを、古色蒼然の文語体で至極真面目に書いた本(笑)読み慣れるかと思います)はこちらをご参照ください。 

雑説 技術者の脱炭素社会

内容について自分で解説しました(2023.3,これは通常現代文です)

もう一つの新著です(2022年8月)。

「企業の実験・大学の実験 反応工学実験の作法」 https://onl.bz/YeZ3SC  (アマゾン)

(補説「ハーバー・ボッシュ法アンモニア合成と現代」の部分を記事にしました→ こちら )

(「昨日今日いつかくる明日―読み切り「エネルギー・環境」―」(2008年刊)より抜粋)

エネルギー転換機器とニ次エネルギー  

 ある一般紙の社説で、外国の小さな島で風力発電を普及させる試みが取り上げられていた。二酸化炭素の排出抑制のため、「(風力発電の普及により)自動車もガソリンから、電気へやがて燃料電池へ切り替えていく」とある。自動車という限定があるから、常識的に判らないでもないが、正確には、順に、石油を精製したガソリン燃料のエンジン、風力発電での電気をバッテリーに蓄電した電気自動車、最後は風力発電を用いた水電解で得られた水素を燃料とする燃料電池車という意味らしい。この序列に疑問はあるが、短いフレーズ中に一次エネルギー、二次エネルギー、エネルギー変換装置が列挙されている珍しい例ではあり、格好の学習材料である。もっとも、電気は二次エネルギーだから、これから作る水素は三次エネルギーといってもいい。このように、エネルギー機器や媒体が絡んでくると、一般にはなかなか理解が困難なところである。本講では最近話題になる事の多い水素、アルコールについて、次講では燃料電池について述べよう。

 水素は化石燃料、自然エネルギー、原子力などの一次エネルギーから生成される二次エネルギーであり、燃料電池は熱効率が高くできる可能性を持った燃料から電力への変換機器であり、技術的見地からはこれ以上の話ではないし、またそれで十分である。ところが、一般にはこの二つが、それ以上のものである、とする雰囲気が醸成されて久しい。研究も盛んであり、また多くの所でレポートされ、一時期は燃料電池と水素の研究開発に取り組むことが企業に限らず、優れて格別の環境哲学を有する集団というイメージを喚起するに相応しいと思われていたのである。勿論、水素、燃料電池双方とも将来のエネルギー利用に関する重要テーマであることは疑いないが、しかし、これらの意義は当然ながら、その機器ないし、二次エネルギーそのものだけではなく、一次エネルギー供給から最終の需要家に至るまでの全体コスト、環境影響の中で評価されねばならない。

水素の特性

 水素の特徴と水素利用の利点を表6・1に示す。例えば水素は質量あたりの発熱量が他の燃料と比べて大きく、従って重力に逆らって飛行する必要があるロケット用の燃料として適している。また、水素は将来のエネルギー輸送媒体として有望な候補の一つであり、多くの優れた特長をもっている。エネルギー媒体は、またエネルギー通貨と呼んでもいい。生体で働くATP(アデノシン三リン酸)と同様に、ある元になるエネルギーをより使い易い形に変えて、必要に応じて利用する。勿論、通貨に換えるときの手数料はそれなりに必要だが、全体として活動に便利であれば広く普及するものである。水素については課題も多いが、水素吸蔵材料、液体水素の輸送・貯蔵、酸水素燃焼タービンなど、ナノテクノロジーなどを駆使した高度利用技術が今後も開発されていくだろう。また、具体的なエネルギー関連分野のみならず各方面で言及されて、今では、定義すら曖昧模糊となってしまった感があるが、このような望ましい形の「水素社会」の到来は各方面から期待されているところである。

表6.1 水素の特徴と水素利用の利点

水素の特徴

水素利用の利点

1.単位重量あたりのエネルギー密度が化学物質中最大。

1.水素は燃焼に際し、CO2などの環境汚染物質の排出がなく、極めてクリーンな環境をもたらす。

2.電力・熱と比較してエネルギー貯蔵が容易。

2.水素は、水から製造でき、燃焼・熱利用によってもとの水に戻るので地球の物質循環を乱さない。

3.気体水素は化学物質中最も軽く、大量貯蔵には課題がある。

3.再生可能エネルギーを利用すれば、原料である水もまた枯渇することはないので、持続可能社会が実現できる。

4.可燃範囲が広く、爆発対策など取り扱いに注意が必要。

5.現在は主に天然ガスの改質、または水の電気分解によりつくられている。

水素は何処から 

 化石燃料である石炭、石油、天然ガスを空気で燃やせば、完全燃焼したにしても、水だけでなく、二酸化炭素(CO2)、窒素酸化物(NOx)、硫黄酸化物(SOx),が生成する。不完全燃焼であれば一酸化炭素(CO),炭化水素から煤塵迄、多種多様の公害成分が生成する。一方、水素であれば、空気で燃やすとNOxは生成するが、酸素で燃やすか、あるいは燃料電池を使えば生成物は水だけで、何か他のものを作ろうにも出来ないのであるから、確かにクリーンである。

 現在、水素は水の電気分解、または天然ガスの改質でつくられている。電気分解は電力によって水分子を水素と酸素に分解するものであり判りやすいが、天然ガスなどの化石燃料からつくるとなると一般にはなじみが薄い。そこで例えば、石炭は炭素が殆どだから、石炭から水素が出来るにしても極少量ではないか、などと思う人もいるらしい。もちろん炭素原子を水素原子に核変換するわけではなく、炭素分に水蒸気を反応させて水素分子(H2)とCO2にする。これからも判るように、石炭に限らず化石燃料を原料にして水素を作るとどうしてもCO2ができてしまうので問題になる訳である。

 さて、水素が21世紀のクリーンエネルギーとして広範多岐に使用されるとの一般的な期待がある。この根拠は通常水素を利用する際の利点に重点がおかれ、供給側の課題が明確に述べられる事は少ないようにみえる。30年前、将来、水素が燃料用として本格的に利用拡大された場合、その大量の水素をどう調達するかと訊かれると、原子力発電の電気または熱で、或いは石炭のガス化でと答えるのが通常であった。というより、他は小規模の研究開発がなされていた位で、皆それは認めていたところである。今も30年後に大量の、というとそうであろう。これを聞くと、常日ごろ水素がクリーンと聞かされている人はいささか驚く。水素は、どこか秘密の山奥から沸いて出てくると思っている人が多いと思わざるをえないが、水素はその元になる一次エネルギーから製造される純然たる二次エネルギーである。

 もとはといえば、水素をエネルギー媒体として利用する方式は、電力しか二次エネルギーとして想定されていなかった時代に、別案として提案されたものである。例えば、核熱(原子力からの熱)や太陽熱から電気を得ることはできるが、電気は貯蔵・長距離輸送に不便である。それでは、ということであり、当然のことながら決して水素が化石燃料にとって代わるのではなく、この場合、太陽熱、核熱が化石燃料に代替するのである。小噺風にいえば、将来大容量に水素が使われるようになって、旅行社が「水素の源流を尋ねて」という企画を計画した場合、連れて行かれるのは原子力発電所か、石炭の採掘現場の可能性が高い。横から、いや、太陽光や風力などの自然エネルギーから最終的にはつくるんです、という声が聞こえるが、その声は自信に満ちていることもあれば、か弱い時、エキセントリックな響きの時もある。

 ということで、最近は太陽電池や風力発電など化石燃料、原子力以外の自然エネルギーからつくる水素、つまり持続可能社会御用達の水素を「グリーン水素」と呼ぶようである。これにしても例えば、太陽電池のように、直接的には電力で得られるものを電力として利用せず、電気分解で水素に変換し、50%以下の効率でまた電気に変える不利益を補償するメリット、そしてメタノールのような安定な液体でなく、運搬・貯蔵が困難で最も爆発性の高い水素の形で利用するメリットが必要である。確かに水素はその有力候補のひとつではあるが、競争相手も多い。いずれが採用されるかは一次エネルギーを含めたコストや環境影響の全体システムでの評価での優位か、否かによっているのであって、水素がクリーンだからではない。

 さて、では経済的には水素を如何にしてつくるのが優位と評価されているだろうか? NHA(全米水素協会)の報告によると、1996年時点では、天然ガス水蒸気改質法、原油部分ガス化法、石炭ガス化法の順である。つまり、当然ながら化石燃料からつくるのが廉価なのである。IPCCの2010年の予測(1996年)では、それが、バイオマスガス化、石炭ガス化、水力発電水電解、天然ガス水蒸気電解、原子力発電水電解の順となっていた。バイオマス、石炭原料(つまり炭素を含む原料)からまずはアルコールなどの液体の形にするほうが簡単で利用しやすく、無理に水素にする必要はないようにも思われる。もっともこのメタノールも最終的に燃料電池で水素の形で使えば、「水素社会」の一形態と解釈するのだろうが、いずれにせよ大容量の供給という意味では2010年という早期にはとても実現できそうにない。

そこはクリーン・高効率  

 水素を燃料として使えば、生成物は水のみで、COもSOxも排出せず、クリーンで高効率なことは当然である。ただ綺麗に掃き清められた所は確かに格好もいいが、必ず出る筈のごみは何処へいったのだろうか? そこだけクリーン、そこだけ高効率では意味がない。水素の場合も、どこかで必要な支払いや処理はしている。天然ガスや石炭から水素をつくれば、COなどが、原子力発電の水電解では放射性廃棄物が、太陽電池や風力発電では場合によっては補助金の形で税金が、水素を作る元の所で発生する。また、効率も、実際には、或るシステムの全体でなく部分のみの値に殆ど意味はないことは当然すぎる話である。

 水素は現在世界で40%が肥料のもとであるアンモニア、20%が石油精製(水素添加、脱硫など)に用いられているが、一次エネルギーの総量からすると、これら単体の水素ガスを経由するものは2%にすぎない。厳格な意味で水素社会と呼べるのは、上記のように、水素を再生可能エネルギーから得て利用する社会であり、そして現在想定されている再生可能エネルギーの主なメニューからすれば、炭素を含むバイオマスはアルコールや炭化水素の形で利用することが自然だから、具体的には、残る大物である風力、太陽光発電で得られた電気をそのまま電気として利用せずに、電気分解に用いてつくる水素が対象となる。その比率が一次エネルギーの総量に対して相当量、例えば30%を越える時、初めて真の「水素社会」と呼べるのだろう。

 一次エネルギー、エネルギー媒体、利用機器、廃棄物の低減・リサイクル装置、この流れが多様な環の連続として働くことが、エネルギー利用にとって望ましいことはいうまでもない。そして現時点で将来を展望して最も弱い環は最初の一転がり、つまり如何に石油、天然ガス、石炭或いは水力や太陽光・風力などの一次エネルギーを確保するかである。従って、それらの大半が水素ガスの形をどこかで経由するならともかく、「原子力」、「自然エネルギー」或いは個別に「風力」、「太陽光」、「バイオマス」の時代などと、一次エネルギーの名前を冠するほうが、その成長性と同時に課題や問題点が感得でき、自然で誤解がない。そして、持続可能という意味で、近い将来水素を本格的に導入するためには、結局のところ大半を太陽光・風力・バイオマスなどの再生可能エネルギーに頼る以外になく、それはとりもなおさず、コスト・運用性など再生可能エネルギー導入につきまとう困難を克服することなのである。